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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ652

結局、エレナは国営放送の音声収録に応じることになった。屯田家で拒否された国営放送は搦め手から攻めて下関市郵便局に協力を依頼したのだ。本局から栗野郵便局の局長に「国営放送に恩を売っておけば局としてもメリットがあるはずだ=だから協力させろ」との電話が入り、屯田局員に遠回しな命令が達せられた。
「ダークダックスのカラオケを用意しました。これで大丈夫か音合わせにリハーサルしてみて下さい」国営放送山口局でもラジオ局のガラスで仕切られた収録スタジオのマイクの前に立ったエレナにマスター・コントロール・ルームのディレクターの指示がスピーカーを通じて届いた。間もなく飲み屋では誰も唄いそうもない暗くスローテンポな前奏が流れ始めた。ロシア語の歌詞カードは用意していない。
「ムニョ カジツァ パロコ シト サルダティ・・・」エレナは自宅の近くにはスナックや居酒屋がないためカラオケは屯田局員との旅行の時に唄うくらいだ。それでも無理しなくても歌える音程なのを確認した。それはデュレクターも同様だったらしい。
「それでは本番をお願いします。何度か繰り返していただいてこちらで編集させてもらいます。それでは・・・Q」デュレクターの指の合図を受けて女性のサブ・デュレクターがCDを操作して再びカラオケの前奏が流れ始めた。
「ムニョ カジツァ パロコ・シト サルダティ・スクラヴァウィフ ニェ プリンジェトシエ パリエイ・ニェヴ シェムリュ ナシュパリグリ カグダ タ・ア プリヴラティリス ベルィフ ジェラヴリィ・アニ ダ セィ パルィス ウリミョン チェフ ダルニク・イフトム ストロエ イェスト プラミシュタク パルティ・プィチ モジェト エダ ミェスタ ミニヤ(私は時折思います。兵士たちは血に染まり野辺に斃れてこの土の上にはもういない。ある時、白い鶴へと姿を変えたのではないかと。はるか時の彼方からこの世へ。その列の小さな隙間はきっといつか私が埋める場所なのでしょう)・・・」ここで間奏が入った。デュレクターはマイクを切って口の中で日本語版の歌詞を口ずさんでいたが次第にエレナの歌声に聞き惚れて顎でリズムを取るだけになった。このデュレクターも反戦歌として知っているようだ。
「ナスタニェット ヂェニィ ジュラヴリナィ スタィエイ・ヤ パブルィク タコィシェ フィザィムグリェ・イス パト ニェベス パプチチィ アグリカヤ・フスェク ヴァス カヴォ アスタヴィル ナジムリェ(日は昇り鶴たちが舞い来る。私もまた藤色の霧の中を、空の下を鳥となり呼びかけるのでしょう。地上に残してきた全ての者たちへ)・・・ 」エレナは殊更に演出を加えることなく静かに唄い終えた。サブ・コントロール・ルームで聴いていた屯田局員を含む居合わせた関係者たちはロシア語が理解できないはずなのに哀しくなり、女性サブ・デュレクターは涙ぐんでいた。 
別の日、今度は名前、顔出し大歓迎の在日半島人の男性が下関支局の歌手が唄うステージ式収録スタジオで撮影に臨んでいた。曲目は意外にもキム・グァンソクが唄っていた韓国映画「JSA」の主題歌「忘れ去られた手紙」でカラオケも持ち込みだった。
「シヂエ セビョッキル ホルロゴッタガ・サラングァチェクミィ チャユルマンナ・オンカン パラムソクロ ムドンオフシ・ セッチャン メンポラソクロ ノレドオフシ・コンニフチェロム フルロフルロ クテチャルカラ・クテヌンムリィジェッコ カンムルレェリニ・クテサランイジェコッ ノレトェリニ・サヌルリベ ムゥルコナ ヌン ムレチャクンセヨ・トイトラホジマルコ クテ チャルカラ クテチャルカラ・・・(草の葉はなぎ倒されても空を見上げる。花が咲くことはたやすくとも美しくあることは難しい。時代の夜明けを独りで彷徨い。人は死と出会って自由になれる。凍てつく風の中へ墓もなく。激しい吹雪の中へ歌もなく。花のように流れ流れて、さらば君よ。君の涙は川になるだろう。君の愛はやがて歌になるだろう・・・)」こちらの歌も追悼には相応しい選曲だがテレビ出演を意識した派手な衣装が台無しにしていた。
在日半島人の大半は日本に移住してくる前に住んでいた地域で南北に分かれているが朝鮮戦争には従軍していないので組織として動員された以外は敵対したことはない。その意味では南北の兵士の友情と悲劇を描いたこの映画を見ていていても不思議はない。
  1. 2023/10/30(月) 16:10:05|
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