fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

10月30日・赤十字の創設者・アンリ・デュナンの命日

1910年の10月30日は赤十字社を創設し、ジュネーブ条約を制定した功績で第1回ノーベル平和賞を受賞したジャン=アンリ・デュナンさんの命日です。82歳でした。
デュナンさんは1828年5月8日(=現在は世界赤十字デーになっている)にジュネーブのカルバン派プロテスタントの敬虔な信者の家庭で政財界の大物であり、福祉孤児院の院長や共和国代議士を勤めている父親の5人兄弟の長男として生まれました。1838年に名門・カルバン学院に入学しましたが学業不振のため3年で中退して家庭教師の教育を受け、間もなく慈善団体で働くようになりました。
1849年に2年間の見習いを経てポール・ルラン・エ・ソテ銀行に正式採用されると同時に宗教活動にも熱心になり、1844年にロンドンで設立されていたキリスト教青年会=YMCAに共鳴して「世界のキリスト教団体が連携を図る国際的組織に発展させる」と1852年にはジュネーブYMCAを創設しました。 そんな中、1853年に銀行からフランスの植民地だったアルジェリアへ出張を命じられると現地で差別と迫害、貧困に苦しむ現地の人々の過酷な生活に衝撃を受け、宗教者として活動するべく銀行を退社して1855年にパリでYMCA世界大会を開催し、アルジェリアで農場と製粉工場を始めました。
ところが植民政府に水利権を認められなかったため皇帝・ナポレオン3世に直談判するべくイタリア統一戦争に介入してオーストリア帝国と戦っていた北部イタリアへ赴き、今度は両軍で20万人を超える将兵が激突し、約4万人の死傷者が出たソルフェリーノ会戦で戦場に放置されている死傷者を目の当たりにする一方で、現地で医療活動に当たっている看護婦たちの姿に感銘を受けて自らも1週間の滞在期間に医療活動に参加したのです。その時、敵味方分け隔てなく救護する理由を訊かれて「人類はみな兄弟」と答えています。 帰国後、1862年にソルファーノ会戦の体験記を出版して戦場における敵味方を区別しない救護と医療活動を提唱して赤十字創設の気運を醸成していきました。そして1863年にジュネーブで「国際負傷軍人救護常置委員会」が結成されて委員に選出されると国際会議の開催のために奔走し、16ヶ国が参加する国際会議がジュネーブで開催されて赤十字規約10ヶ条が採択されました。それがジュネーブ条約に発展し、参加国が組織した戦時救護団体が世界に拡大して国際赤十字社の母体になったのです(赤十字は赤地に白十字のスイスの国旗の色を反転させたもの)。
ところがデユナンさんの活躍もここまでで理事を務めていたジュネーブ信託銀行が1865年に倒産したのを切っ掛けにアルジェリアでの事業が破綻して株主から告発されたため赤十字の母体組織の委員を辞任させられ、裁判所から破産宣告を受けるとジュネーブから姿を消して2度と帰ることはありませんでした。
その後は目撃談的に記録が残っているだけになりましたが1876年に牧師宅に下宿させてもらってからは死ぬまで居候生活を続け、1895年にスイスの新聞が手記を掲載したことで功績が再評価されて1901年に第1回ノーベル平和賞を受賞したのです。
  1. 2023/10/30(月) 16:11:37|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<続・振り向けばイエスタディ653 | ホーム | 続・振り向けばイエスタディ652>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/8769-710b5c8b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)