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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

11月1日・Bー29エノラ・ゲイの機長・ティベッツ大佐の命日

2007年の明日11月1日はヒロシマに原子爆弾を投下して単独の戦闘行為としては史上最多の15万人以上の文民=一般市民を殺害したBー29爆撃機・愛称エノラ・ゲイの機長だったポール・ウォーフィールド・ティベッツ・ジュニア准将(陸軍大佐で1947年に創設された空軍に転換した)の命日です。92歳でした。
ティベッツ准将は1915年にイリノイ州で菓子卸問屋の父親と母親=エノラ・ゲイの間に生まれました。アイオワ州を経てフロリダ州マイアミに移住して成長すると1928年に私立のウェスタン・ミリタリー・アカデミーに入学して1933年にフロリダ大学に進学、さらにシンシナティ医科大学にも進学して1937年に卒業するとケンタッキー州フォート・トマス航空基地で操縦要員の陸軍士官候補生になりました。
1941年12月にフランクリン・ルーズベルト政権が日本軍の真珠湾攻撃を口実にして第2次世界大戦に参戦すると1942年から第29爆撃隊でBー17爆撃機に搭乗してイギリスからのドイツ空爆に参加しています。
この頃、アメリカ陸軍航空軍ではマンハッタン計画で完成に近づきつつあった原子爆弾(爆発実験は1945年7月16日)の投下計画を立案していて1944年8月29日に突如、航空軍副参謀長から原子爆弾投下部隊長の候補者に指名されて同年11月には投下部隊として新設される第509混成部隊長に任命されました。以降はネバダ砂漠での投下訓練に明け暮れながら改善点を次々に指摘・要望して実現していきました。
1945年5月になるとマンハッタン計画の責任者は精密機械技術を持つ軍需工場が建設されているグアム島を推薦したのに対して最高の滑走路があるマリアナ諸島テニアン島を選択してカーチス・ルメイ少将の第20航空軍団に編入されました。
ルメイ少将は常に部隊の先頭に立とうとするティベッツ大佐に指揮官自ら迎撃が激しく危険な日本本土上空を飛ばないように諫めましたが、逆に「自分が操縦する機で原子爆弾を投下する」と反論されてティベッツ大佐の母親の名前を冠した愛機エレラ・ゲイで投下することが既定路線になりました。
7月下旬になると第509混成部隊を東京空襲に参加させ、続いて原子爆弾の投下目標候補の広島、小倉、京都、新潟にパンプキン爆弾と呼ばれる5トンの大型爆弾で投下練習を実施して準備万端を整えました。そして7月25日に陸軍参謀本部から原子爆弾の投下命令が届き、8月2日にルメイ少将との間で投下目標を「広島=ヒロシマ」に決定するとそれがそのまま実施命令になり、8月6日の現地時間(日本との時差1時間)午前2時45分にテニアン飛行場を離陸して日本時間午前8時15分に高度31600フィート=9632メートルから広島市の太田川の分岐点に架かるT字型の橋を目標に4.4トンの原子爆弾リトルボーイを投下して43秒後に高度約600メートルで爆発させたのです。投下後は真っ直ぐ帰還して現地時間午後2時58分にテニアン飛行場に着陸しています。
当然のことながらティベッツ准将は1966年に空軍を退役した後も生涯にわたり史上初の原子爆弾の投下を軍功・栄誉として誇りとしていました。
  1. 2023/10/31(火) 14:47:25|
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