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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

11月10日・トルコ建国の父・アタテュルク大統領の命日

1938年の明日11月10日は現在もトルコ建国の父として神格化が進められているムスタファ・ケマル・アタテュルク大統領=元帥の命日です。ちなみに「アタテュルク=父なるトルコ人」と言う姓はトルコ議会が議決の上で贈った称号でもあります。
日本ではトルコを「唯一、EUに加盟しているイスラム教国だ」と思っていますが、実際は政治と司法が宗教と一体化している他のイスラム教国とは違い憲法で政教分離を明記する一方で民法はスイス、刑法はイタリアの条文をトルコ語に直訳して採用しています。このイスラム教的には背信に等しい改革を第2次世界大戦以前に断行・確立・推進したのがアタテュルク大統領でした。
アタテュルク大統領は1881年に当時はオスマン・トルコ帝国領で現在はギリシア領になっているエーゲ海に面し、北はブルガリア、南はギリシアに国境を接するセラニーク県で税関役人の子として生まれ、「ムスタファ=選ばれし者」と名づけられました。サラーク県はユダヤ人が多く、住民は「表向きはイスラム教に改宗したユダヤ人」と標榜するような土地柄で、ムスタファ少年は父親の希望で西洋式教育を行う学校に入学しています。やがてサロニカ幼年兵学校に進学すると数学の教官が自分の担当科目の抜群な成績に感嘆してもう1つの名前「ケマル=完璧な」と命名しました。
1899年にモナスティル少年兵学校を経て陸軍士官学校に入校し、1905年に陸軍大学校に入校して5位の成績で卒業すると大尉の参謀としてシリアのダマスカスに駐留していた第5軍に派遣されました。1908年の青年トルコ人革命で皇帝の専制が打倒されて立憲君主制に移行すると1911年にイタリアがリビアに侵攻したため少佐に昇任して義勇軍司令官として再びトリポリに派遣され、さらに1912年に第1次、1913年に第2次バルカン戦争が勃発するとどちらにも派遣されて戦歴を重ねました。
ところが1915年に勃発した第1次世界大戦でオスマン・トルコ帝国は同盟国側に与して敗北しましたが戦争中盤に軍司令官として上陸・侵攻してきたイギリス軍を撃退させた軍功で英雄視されて軍、やがて政治の実権を握り、1922年にプロシアとオーストリアのベルサイユ講和会議とは別にスイスのローザンヌで開かれた講和会議で皇帝の象徴化を講和の条件にすることで血を流すことなく革命を成し遂げ、共和制に移行した1923年10月29日に初代大統領に就任したのです。
ムスタファ・ケマル政権ではイスラム教ではムハンマドがアッラーの啓示を受けた聖なる言葉とされているアラビア語を廃止してトルコ語を公用語としながら英語などのヨーロッパの言語の普及を推進し、イスラム教の戒律で認められている一夫多妻制を禁止するのと同時に女性の社会進出を推進して在任中の1934年には参政権も認めました。勿論、1日5回のサラート=礼拝などの生活習慣・社会規範としてのイスラム教の戒律は否定しませんでしたが強制することは禁止しています。
ソビエト連邦とも表向きは反キリスト教国のイスラム教国面をして友好関係を結び、支援を引き出しながら歩み寄ることはせず、その手は現在もロシア相手に継承しています。
  1. 2023/11/09(木) 16:40:11|
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