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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

11月15日・帝国陸軍の航空母船・あきつ丸が撃没された。

昭和19(1944)年の11月15日に滑走路のような全通飛行甲板を有し、船橋も横にずれた位置に設置されていて発見したアメリカ軍機が航空母艦と誤認した帝国陸軍の特殊船=強襲揚陸船・あきつ丸が五島列島福江島の北西40キロの海域でアメリカ海軍の潜水艦の雷撃を受けて沈没しました。乗船部隊2093名と乗員223人が戦死しました。
帝国陸海軍は第1次世界大戦後の世界的軍縮ブームで軍事予算が大幅に縮小され、平時の軍備拡張は世論の反発を招くためどちらも軍人勅諭の第5「軍人は質素を旨とすべし」を実践せざるを得ない状況の中で急速に発展を遂げる欧米の軍事技術に追随するべく優先順位を付けて軍備を整えていました。このため陸軍は戦車や自動装填式小銃の開発や車両輸送の導入を放棄し、海軍は戦闘艦艇のみに熱意を注いで輸送艦などの補助艦艇は除外しました(前線で大人気だった給糧艦・間宮は大正13=1925年に導入されていた)。
ところが大陸戦線が主戦場になると川幅数十キロの大河を戦闘中に渡河する強襲揚陸が頻繁に実施されるようになって工兵の手漕ぎの小船では対応できなくなり、独自の輸送船の開発に着手したのです。こうして先ず実用化したのがエンジンによって高速度で推進し、着岸時には前の扉を落として傾斜を付けた通路にする上陸用舟艇の大発でした。
すると陸軍は大発の大陸戦線の渡河での活躍を見てこれを離島などへの上陸作戦で使用することを考えるようになり、大発を母船に収納して外洋を渡航して上陸予定地点の沖で船外に出して海岸に向かわせる大発母船=特殊船・神州丸の建造を決定しました。神州丸は船内にレールを敷いたドッグを持ち、そこに大発を並べて輸送するのと同時に作戦前には船内で上陸の準備を整え、将兵も乗って後部扉から海上に出て発進すると言う現在の強襲揚陸艦の先駆け的優れ物でした。さらに神州丸には上陸部隊を掩護するための航空機を発進させるカタパルトも装備していました。
神州丸は大陸戦線の渡河現場に大発を運搬するのに抜群の能力を発揮したため陸軍は東南アジアやフィリピン、太平洋の離島での上陸作戦のためにさらに発展させた特殊船・あきつ丸を計画し、昭和17(1942)年1月に導入しました。
あきつ丸の内部構造は神州丸方式を踏襲していましたが、航空機による上陸援護攻撃を強化してカタパルト発進を確実にするための全通飛行甲板を設置しました。ところが陸軍のパイロットに着船の操縦方法を修得させるのではなく不時着や母船の上空で脱出して落下傘で降下・着水して救助する航空機を消耗品扱いする方式を採用していました。
しかし、航空機による援護攻撃が実施されることはなく飛行甲板には対艦砲撃戦と上陸支援に備えて15センチ加農砲4門や防空用に可能な限り多くの高射砲と高射機関砲の軽巡洋艦に相当する火力が搭載されました。戦死者の乗員のうち140名は火砲要員です。
これほど充実した戦闘力を持ちながら陸軍はあきつ丸を民間の海運会社の所属として運行も軍属(軍に雇用される民間人)とした船員を役務調達にしていました。それは神州丸や続く商船型の特殊船・摩耶山丸、にぎつ丸、吉備津丸、玉津丸、高津丸、日向丸、摂津丸や空母型の熊野丸、ときつ丸も同様でした。
陸軍・あきつ丸帝国陸軍+日本郵船・あきつ丸
  1. 2023/11/15(水) 16:12:04|
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