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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

平成の応援歌「愛は勝つ」を唄ったkanさんの逝去を悼む。

11月12日に1990年の夏に発売したアルバムの収録曲で翌年に「やまだかつてないテレビ」のエンディング・テーマソングになったことで大ヒットした数少ない平成の応援歌「愛は勝つ」を唄った歌手のKanさんが亡くなったそうです。野僧よりも1歳下の61歳でした。それにしても昭和は応援歌ばかりでした。
「愛は勝つ」がヒットした頃、野僧は福岡県春日基地の西部航空警戒管制団司令部の訓練班で勤務していましたが、西部航空方面隊英語弁論大会に出場する選手の壮行会で「スリー・スリー・セブン・リズム・カウント(三三七拍子)」を披露して以来、一発芸を期待されるようになり、おまけに他の基地での大会に出場する選手の行進曲にしている「西部航空警戒管制団歌」はリズムが合わないため持続走なら「炎のランナー」、武道大会では美空ひばりさんの「剣ひとすじ(当時は剣道と銃剣道の2種目だった)」を流して大うけしたのですが、何かの種目の時、若い選手が「これでお願いします」と自分でカセットテープに録音して持ってきたのが「愛は勝つ」でした。
一応、関係上司に相談すると「今時の流行歌かァ」とやや難色を示したものの「選手の希望なら」と許可が下りて団朝礼の後の壮行パレードの時に流したのです。すると独特のピアノの前奏で若い隊員は気がついて手拍子を始め、若い選手たちも口ずさみながら歩いて「必ず最後に愛は勝つ」のところでは合唱が始まって異様に熱狂的な壮行パレードになりました。その効果なのか優勝して出迎えでも流すことになり壮行パレード以上に盛り上がりましたが、それまでの「西部航空警戒管制団歌」に合わせて整然と行進していたのに比べるとあまりにも野放図なので「愛は勝つ」は打ち止めになりました。
ところが「あの曲はモリノ3尉の趣味だ」と誤解した若い隊員たちがこの歌の意外な裏話を聞かせてくれたのです。唄っているのはkanと言う変な名前の歌手で地元・福岡市出身と言うことでした。そうなれば九州では小中学高校の同級生や親戚が登場しますが、今回は小学生の野球チームで一緒だったと言う空曹でした。その空曹の説明によるとkanさんは昭和37(1962)年に福岡市でRKB毎日放送の音楽プロデューサーの次男として生まれ、本名は「和」と書いて「かん」と読むそうです。5歳から福岡市内のカソリック系の幼稚園に通うようになると讃美歌を演奏するピアノに興味を持って習い始め、中学校でギターに転向するまで練習に励んだそうです。ところが中学校ではビートルズに傾倒してバンドを組み、高校に進学するとビリー・ジョエルさんに熱狂してピアノ・ロックとしてピアノを再開しました。大学は両親が願う音楽大学ではなく東京の法政大学社会学部で(1学年下に従弟が在籍していた)、在学中にラテン系ロックバンドに参加して1984年のヤマハの音楽祭で優秀賞、ヤングジャンプの音楽祭でも奨励賞を受賞したそうです。そして1990年の「愛は勝つ」の発売と翌年の大ヒットになりますが、2002年に「フランス人になりたい」とパリに移住してからは名前を聞かなくなりました。
死因は全人類の2パーセントしか持たない母胎内で小腸につながっていた痕跡のメッケル憩室の癌なので発見が遅れたようです。やはり「愛は勝つ」で追悼します。
  1. 2023/11/19(日) 15:18:00|
  2. 追悼・告別・永訣文
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