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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ673

同じ頃、岡倉は在アメリカ韓国人の偽造パスポートを使って韓国に潜入していた。松山1佐から命じられた任務は新潟で北朝鮮軍が派遣した数百人の将兵がロシアに見捨てられる形で全滅したことに対する「怨」を肌で感じ取ることと依然として対馬を占領し続けている韓国軍内の反日感情の実態を確認することだった。
「アンニョンハシムニカ(お元気ですか)」「タイガー(岡倉の仇名)、突然どうした」「今回は私だけです。申し訳ありません」その活動拠点として岡倉は妻・知愛の実家ではなく義父が神父を務めるソウル特別市郊外の教会を選択した。アメリカでの情報収集で韓国陸軍が少佐だった李知愛が依願退職した後、アメリカに渡航して所在不明になっていることを追跡調査している気配を感じているのだ。
「タイガーは異教徒だが・・・宗教生活の体験希望者として許可しよう」「カムサハムニダ(有り難う)」岡倉の申し出に義父は一瞬考えた後で承諾を与えた。厳格なカソリックの内部規則では教会に異教徒を宿泊させることに問題があるようだが知愛の信仰を尊重している岡倉の柔軟で真摯な信仰心を信頼して許可したらしい。一方、実家が監視対象になっていることを警戒して偽名を使って義父の教会と連絡を取っている知愛からは日韓の武力衝突が起こって以来、これまでの日本側を擁護する発言が敵視されて信者が別の聖堂や教会に流れて開店休業状態になっていることは聞いている。そのため知愛からは持ち込み許可限度以上の現金を託されてきた。勿論、現地調査の工作資金の方がはるかに多額なので一緒に手荷物の中にプロの仕事で密封してきた。
「それで今の韓国の日本への敵対意識は少しは鎮まったんですか」「いいや、我が民族の『怨』は簡単には解消しないよ。そもそも太閤秀吉の倭乱(=朝鮮侵攻)まで遡(さかのぼ)って怨んでいるんだからどうしようもない」岡倉と義父は質素な神父の居室で紅茶を飲みながら雑談を始めたが案の定の答えが返ってきた。
日本人としては古墳時代の西暦367年とされる神功皇后の三韓侵攻まで遡られなくて助かったが韓国では日本の朝鮮統治を根拠づけするために捏造した虚構としているので当然だった。しかし、1910年からの朝鮮の信託統治を正当化するために奈良時代の古事記や日本書紀が虚偽を記述したと言うのは歴史公証として滅茶苦茶だ。
「そうなると日本は秀吉の朝鮮侵略の野望を300年間持ち続けて明治で先に近代化に成功したところで清を排除して支配に成功した」「ところが戦争に敗れてアメリカに取って代わられたから軍国主義者の加倍首相がA級戦犯の祖父の野望を実現しようとした。と言うのが前政権の説明で今も韓国国民の大半は信じているよ」「日本人は韓国人と違って執念深さは持ち合わせていないですよ。むしろ簡単に忘れ過ぎて外から見ていると腹が立つことが多いんです」義父の説明に岡倉は呆れながら答えた。
日本では元号で文禄元年と慶長3年、韓国では干支で壬辰と丁酉と呼ぶ1592年と1598年の豊臣秀吉の朝鮮出兵は命じた本人が死んだこともあり、得る物もなく帰国した武将たちの間では厭戦気分が蔓延していた。関が原の合戦でも仕掛けた西軍側で朝鮮に出征したのは小西行長と不本意ながらの参陣だった島津義弘だけだった。実は島津義弘は徳川側に与するつもりだったのだが、伏見城で城代の鳥居元忠に「主から何人(なにびと)も入れてならぬと申しつけられている」と拒否されたため已む無く大坂城に向かったのだ。その経緯を知っていた徳川家康は戦後処理でも島津家だけはお咎めなしで済ませている。
「ところでファーザー(女性の聖職者のシスター、マザーに相当する肩書))は日本の新潟に侵攻して占領していたロシア軍の半数は北朝鮮軍だったことを知っていますか」話の流れでもう1つのテーマにも触れてみた。それにしても聖職者の呼称=肩書と義父が重なって丁度良かった。義父が修道士だった頃は「ブラザー」だったので困った。
「それは噂では聞いているが政府の公式発表はないな。公式発表すれば国民の民族意識に火を点けて反日感情が更に炎上しかねないことを危惧しているんだろう」「現政権は本当に日本との同盟関係を模索しているんですか」岡倉の率直な質問に義父は「聖職者は答える立場にない」と難しい顔で首を振った。ここで岡倉は出かける時に撮影した知愛と聖也の画像を表示したスマートホンを手渡し、それで義父も笑顔を弾けさせた。
は・李英愛イメージ画像
  1. 2023/11/20(月) 15:38:54|
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