fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

11月24日・占領下の青年の犯罪=光クラブの社長が自死した。

昭和24(1949)年の11月24日の午後11時48分55秒に戦前の日本的倫理が崩壊し、アメリカ式自由を押しつけられた占領下の青年の犯罪としては異色な事件、高利貸し「光クラブ」を経営していた現役東京大学生の藤本晃嗣社長が腹毒自死しました。
藤本社長は昭和8(1923)年に医師の5男として生まれました。父親は昭和21(1946)年から事件後の昭和30(1955)年まで千葉県木更津市長を務めました。旧制・木更津中学校から第1高等学校を経て東京帝国大学法学部に進学しましたが、学徒出征で陸軍主計少尉に任官して北海道旭川の北部第178部隊の糧秣=給食担当士官として赴任しました。藤本社長の死後に事件の経緯を取材したマスコミの真偽不明(当時は陸軍を指弾すれば読者にウケた)の記事によると訓練中に第1高等学校の同級生が上官の私的制裁によって死亡するのを目撃しながら隠蔽を命ぜられ、敗戦後には上官の物資の横領に加担するように強要されましたが実行前に発覚したため罪を1人で被ると事情聴取では警察官から拷問を受け、懲役1年6ヶ月・執行猶予3年の判決を受けたことになっています。
これらの経験によって社会に対する深い不信と強い怨嗟を抱くようになったと言うのがマスコミの分析ですが、裁判を終えて帰京した山崎社長は東京大学に復学して「全科目で優を取る」と言う目標を立てて猛勉強に励んでいます。その時、勉強や睡眠、女性との性行為まで細かく分単位で記録して、それが自分にとって有益か否かを自己評価するようになり、それは死ぬまで続けていました。
そんな山崎社長が心を許した数少ない友人の東京医科大学生と開業したのが「光クラブ」でそれまでの借金を恥じる風潮の中で広告と派手な張り紙で投資と利用を呼びかけ、アメリカの銀行経営者の勧告を受けて占領軍が命じていた低金利政策で1.83パーセントだった年利(現在の0に等しい超低金利と比べればかなり高いが戦前に比べて極めて低い金利だった)に対して光クラブでは18パーセントの高金利を保証し、それ以上の金利で銀行の貸し渋りに苦しんでいた中小企業や個人商店に貸し付けていたのです。
借りる側も山崎社長が従業員として雇った学生服を着た現役の東京大学の学生たちが公証人を立てて公正証書を作成している光景に完全に信用してしまい開業3カ月で1000万円=現在の10億円の利益を上げ、4ヵ月後には株式会社化しましたが昭和24(1949)年7月に山崎社長が高金利を物価統制令違反として逮捕されると客足は一気に遠のき、企業名を変更して資金集めを再開しても負債は膨らむ一方でこの日を迎えたのでした。
藤本社長の遺書は「1、御注意、検死前に死体に手を触れること。法令の規定するところなれば京橋警察署にただちに通知し、検死後、法に基づき解剖すべし。死因は毒物。青酸カリ(と称し入手したるものなれど、渡したる者が本当のことをいったかは確かめられたし)。死体はモルモットと共に焼却すべし。灰と骨は肥料として農家に売却すること(そこから生えた木が金のなる木か、金を吸う木なら結構)。2、望みつつ 心やすけし 散る紅葉 理知の生命の しるしありけり=辞世。3(省略)。4、貸借法すべて清算借り=青酸カリ自殺。晃嗣。午後一一時四八分五五秒呑む。午後一一時五九分」と言うものでした。
  1. 2023/11/24(金) 20:13:35|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<続・振り向けばイエスタディ678 | ホーム | 続・振り向けばイエスタディ677>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/8823-5b29504a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)