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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

11月30日・千島艦事件=水雷砲艦・千島が衝突事故で沈没した。

明治24(1892)年の明日11月30日に日本海軍の手でフランスから神戸港に回航していた水雷砲艦(正式な艦種指定は到着後の予定だった)・千島が愛媛県和気郡沖の瀬戸内海でイギリスのP&O社の商船と衝突して両方が沈没する事故が発生しました。
全長71メートル、排水量750トンの水雷砲艦・千島は明治19(1886)年にフランスで完成して日本海軍軍人7名と実習の生徒1名にフランス人乗組員79名とアラブ人窯焚き夫9名で日本に回航中にシンガポールを出航後の12月中旬に消息を絶った3本マストバーグ型の防護巡洋艦(同前)・畝傍の保険金でイギリスに代用の巡洋艦・千代田を発注したためフランス側の造船所が残高回収のために強引に建造した曰く付きの艦でした。
それでも水雷砲艦・千島の航海は順調で4月18日にフランスを出航してアレクサンドリア、スエズ運河を通ってシンガポールに寄港して11月24日には長崎で祖国の土を踏み、後は勝手知った日本の内海・瀬戸内海を横切って神戸港に向かうだけでしたが、そこで水雷砲艦・千島の右舷中央部にイギリスの商船・ラヴェンナ号の船首が突っ込む形で衝突したため千島は沈没して90名の乗員のうち74名が死亡しました。
この事態に第2次伊藤博文内閣はイギリスに留学して法廷弁護士の資格を取得していた岡村輝彦弁護士を代理人として安政の日英修好通商条約に基づいて在日本イギリス領事館に損害賠償85万ドルを請求して提訴するとラヴェンナ号も同様に沈没したためP&O社も10万ドルを請求する反訴を起こしたのです。
領事館長による裁判は法と秩序を尊重するイギリス紳士らしく日本側の全面勝訴になりましたが、P&O社側が上海のイギリス高等領事裁判所に控訴すると品性下劣な中国人の犯罪を見飽きていた高等領事裁判長はP&O側を逆転全面勝訴にしました。すると国力の進展を実感して国家意識が高揚していた国民の間で不満の声が起こり、国会でも衆議院で対外強硬派が即時条約改定を要求して伊藤内閣の弱腰を指弾するようになったため2度の解散で事態の鎮静化を図ったもののかえって不満が拡散してしまってロンドンのイギリス枢密院に上告することにしました。
結局、岡倉弁護士がイギリスに出張して留学中の人脈とイギリス仕込みの法理論を発揮して日清戦争中の明治28(1985)年に上海高等領事裁判所の判決を破棄して在日本領事館への差し戻し判決が下り、イギリス外務省の仲介によって和解が成立したのです。
日本が安政年間に徳川幕府がアメリカやヨーロッパ列強と結んだ修好通商和親条約の領事に裁判権を与えた治外法権が改定されたのは日清戦争開戦直前の明治27(1894)年ですが、この裁判を巡る岡村弁護士の活躍によって日本が先進的な法治国家であることが認識されたのも大きな理由でしょう(幕末の尊皇攘夷テロでも幕府側は国内法規と判例に基づく処罰を主張してインドや中国と同一視していたアメリカやヨーロッパ諸国に意外な近代性を認識させていた)。
また日本海軍はフランス製の艦艇の性能(水雷砲艦・千島も21ノットの要求速度が19ノットしか出なかった)と強度に不安を持ち発注を止めました。
  1. 2023/11/29(水) 19:24:54|
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