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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

12月4日・「のぼうの城」の成田長親の命日

慶長17(1613)年の明日12月4日は2012年公開の映画「のぼうの城」で野村萬斎さんが演じた主人公の成田長親さんの命日です。67歳でした。
映画「のぼうの城」は成田家側の家系図や家中記録などに基づいて和田竜さんが2007年に発表した同名歴史小説を原作としていますが、主演の野村さんが狂言師を本業にしていることもあり、領民に「のぼうさま」と仇名を付けられる滑稽味を強調する一方で攻囲戦の水攻めでできた湖面に浮かべた小舟の上で舞を披露するなどいささか現実離れした演出も目立ちました。
史実としての長親さんは天文15(1546)年に関東管領・扇谷(おおぎがやつ)上杉家に仕える忍城城主の成田親泰さんの3男の泰季さんの長男として生まれましたが、祖父が前年に亡くなっていたため家督は嫡男の伯父の長泰さんが継いでいて泰季さんは親族でも家臣になりました。そのため長泰さんの病没後に扇谷上杉家から離反した従兄で城主の氏長さんの命で北条氏の重臣の娘を嫁にしています。
氏長さんは天正2(1574)年に北条側に加わって隣接する羽生城を攻めますが上杉謙信公が救援に出陣してきて利根川を挟んで対峙したものの増水のため双方が渡河できず、睨み合いのまま撤退して羽生城が自滅的に落城すると羽生領を与えられました。すると氏長さんは羽生城を修築して移って北条家中の有力豪族になり、この頃の家中記録では「のぼうさま」ではなく父・泰季さんとは別に11人の重臣に名を連ねています。
しかし、関東の雄・北条氏は群雄たちが天下の争奪で京都を目指すようになると時代の流れから取り残され、田舎の小競り合いを繰り返している間に豊臣秀吉さんが覇権を握り、その実力を認識できずに服従する機会を逃したまま天正18(1590)年に15万3千人の大軍勢に小田原城を攻囲されることになったのです。
この事態に氏長さんは忍城を叔父の泰季さんを城代として後事を託すと小田原城に駆けつけてしまいました。しかし、小田原城を難攻不落と過信した北条氏が降伏の機会を逃して滅亡すると秀吉さんは関東一円の鎮圧に着手しますが、主家を失った弱小領主たちに抵抗する気概はなく簡単に平定できると思っていたところに城主不在で降伏・開城を決定できない忍城だけが孤立無援のまま戦闘態勢を維持していたのです。
このため秀吉さんは合戦を指揮した経験が乏しい石田三成さんを大将にして備中・高松城の攻囲戦で軍師・黒田官兵衛さんが考案した水攻めを自分の手柄にしようと再現することを命じました。ところがそんな折に城代の泰季さんが急逝したため氏長さんの妻の指名によって長親さんが城代になり、忍城の指揮を執ることになったのです。
忍城攻囲戦では泳ぎに長けた者を夜間に渡らせて堤防を切り、攻城側の陣を水没させるなど映画で描かれた活躍を見せますが、秀吉さん側に捕らえられていた城主・氏長さんの説得で降伏・開城しました。6月17日から7月17日までの1ヶ月間の攻防戦でした。
その後、忍城に2代将軍・徳川秀忠さまの同母弟・宗吉さまが入城すると長男の長季さんが仕官して長親さんも宗吉さんの尾張移封に同行して名古屋城下に定住しました。
  1. 2023/12/03(日) 13:34:54|
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