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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ687

「俺たちのどっちかが韓国に派遣されるらしいぞ」「島村(岡倉の職場での偽名)さんが『交代要員を派遣してくれ』って所長に連絡してきたそうだ」「と言うことは例の・・・」ニューヨークの非合法組織の事務所では高仁智少佐を韓国軍内の情報源にするため籠絡した岡倉からの交代要員の派遣要請を受けて松山1佐が漏らした人事情報を若い間宮リンゾーと近藤ジュウゾーが妙に熱く語り合っていた。2人はイギリスでの諜報教育の一環としてロンドンの夜の街角に立つ女で媚薬を使った性技の訓練に励んできてこれは実戦に当たる。ニューヨークで引き継いだ杉本は2人に海外情報要員が女性を抱くのはあくまでも薬物の効果を加えた快楽で理性を破壊して奴隷化することが目的であってそのためには「人種や容姿、年齢に関わりなく行為に及べなければならない」と説いてヨーロッパ系やアフリカ系、干上がった老女まで一戦を交えさせてきた。
「相手は50歳過ぎの年増らしいな」「50歳かァ・・・20歳年上だぞ」「それでも杉村教官もその位だろう。あの人だったら是非とも相手をしたいもんだ」2人は中国の細菌兵器でアメリカからの海外渡航が不可能になって活動休止になってからは岡倉の妻の知愛から韓国語の教育を受けている。韓国要員だった杉本が愛人の安楷林を口封じのために殺害して東南アジアに担当が変わって以降、陸軍士官だった李知愛と事実婚していた岡倉が代わって韓国に潜入するようになった。その後、加倍政権になって外交が戦略的攻勢に転じると在韓国大使館の外交官の情報収集も積極的になって出番はなくなっていた。それが今回の武力衝突によって韓国も中国を模倣したかのようにウィーン条約を無視した活動の妨害を公然化しているため知愛に若い2人への語学教育を依頼した。
当然、2人は岡倉が杉本の指示で韓国軍士官だった知愛に古いタイプの性的興奮剤を使って純潔を奪ったことを知っている。それでも知愛の美貌を見ていると「この女性なら俺も」と若い欲望が沸き立って机の下で下半身が臨戦態勢になってしまう。
「現時点で語学力はどちらが上なんだ」「チョイムニダ」「ダ」部屋の隅で2人が盛り上げっているのを見て松山1佐が韓国語で声をかけると2人も「私です」と即答した。このレベルであれば西海岸のコリア・タウンの韓国語学校で語学を学んでいた初任務当時の岡倉の上を行っている。やはり知愛の教育能力は共に教師の両親譲りらしい。ただ岡倉としてはペルシャ語圏の担当を引き継ぐ間宮リンゾーを指名はしないが希望していた。間宮リンゾーは石油会社に勤める父親が仕事でイランに赴任したのに同行して子供時代を過ごした。それはタイやベトナム、インドネシアで育った近藤ジュウゾーも同じだ。そのため2人とも現地で日本人学校に通っていたものの帰国後は周囲の子供たちに日本語の発音を馬鹿にされ、日本語の練習に励んでいた。その点が業務上の語学研修だった岡倉とは語学の修得に対する基礎的素養が違うのだ。
「どっちも優劣つけ難いな。本来であれば教官に判定してもらうべきだが彼女としても自分が選択した人間の活動を知ると複雑な気持ちになるだろうから・・・ジャンケンで決めよう」「えッ・・・」2人も松山1佐とのつき合いは長くなってきたがこの意表を突いた指示には相変わらず呆気にとられる。自衛隊の海外情報要員の任務は活動自体が非合法であり、時として生命を失い、違法行為を犯さなければならない。今回も韓国軍の女性士官に軍規を破らせ、祖国を裏切らせるための精神的調教が仕事だ。そのような人選をジャンケンで決めるお手軽さには唖然とするしかない。
しかし、日本の江戸時代に流布した多くの軍学書では戦陣に赴く大将は火急な折にも超然として何も考えないことが判断を誤らない秘訣だと述べている。それは明治以降の日本軍においても同様で、突撃を命じる部隊を司令官がアミダやクジ引きで決め、特別攻撃隊の出撃の順番を本人たちのジャンケンで決めさせた逸話が伝わっている。その意味ではジャンケンも武士の作法に適っているのかも知れない。
「3回勝負だぞ」「アニ(うん)」「カウィバイボ(ジャンケン)、ボ」「ボ(この一語で続ける)」「ボ」「イギョッタ(勝った)」「チダ(負けた)」2人とも現在の韓国に潜入する任務の危険性など眼中になく勝負に熱中している。松山1佐は知愛にジャンケンを習った時の楽し気な姿に重ねて苦笑していた。結局、間宮リンゾーに決まった。
ふ・李英愛イメージ画像(杉村知愛)
  1. 2023/12/04(月) 14:59:50|
  2. 夜の連続小説9
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