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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

12月5日・日本の民族学=文化人類学の創始者・岡正雄博士の命日

昭和57(1982)年の明日12月5日はイギリスと違って大陸から遠く離れた島国に住み、単一言語を用いているため人間を分類する「民族」と言う概念を持たなかった日本において民族学=文化人類学を創始した岡正雄博士の命日です。84歳でした。
野僧は小学生の頃から大の歴史好きで祭礼や民芸品、方言、地域ごとの風習などを研究していたので知らない間に民俗学(=民族学とは切り口が違う)に踏み込み、沖縄でつき合っていたアラスカ人の彼女が大学で文化人類学を専攻していたため本格的に勉強することになりました。彼女は日本の民族学研究の第一人者として岡博士を知っていました。
岡博士は明治31(189))年に現在の長野県松本市で生まれ、旧制松本中学校から第2高等学校を経て大正13(1924)年に東京帝国大学文学部社会学科を卒業しました。卒業論文は後の研究命題の萌芽を思わせる「早期社会文化における咒的要素」でした。
卒業と同時に文部省から学術研究会議嘱託と東京女子歯科医学専門学校のドイツ語の教師の兼任を命じられて大正14(1925)年から日本の民俗学の伝道者・柳田國男先生と共に民族+民俗学の雑誌「民族」の刊行を始めました。ただし、この雑誌は昭和4(1929)年に渋沢財閥の支援を受けてオーストリアのウィーン大学に留学した時点で終了しました。一方、ウィーン大学では言語学者の視点で民族学を研究し、進化論的な血統ではなく文化圏で民族を分類するビルヘルム・シュミット教授のウィーン学派を学び、昭和8(1933)年には論文「古日本の文化層」で博士号を修得しました。この論文はウィーン学派の分析手法を基礎にして先史、考古学、言語学、宗教学、形質人類学、神話学から日本の基層文化を論じた5巻・1452ページに及ぶ大作ですが残念ながら日本語訳版は出版されておらず後進の研究者の文章で引用されているのを読むしかありません。
昭和10(1935)年に帰国すると日本では民族学が国家神道を科学的に根拠づける手段として政府が研究を推進していて昭和12(1937)年には樺太と千島の調査に参加してアイヌを研究しています。続いて昭和13(1938)年からは日独伊三国同盟を視野に入れたナチス・ドイツの指示でウィーン大学が設立した日本学研究所の所長として招聘されて昭和15(1940)年に同盟が締結されて用済みになるまで勤務しました。
帰国後は文部省直轄の日本民族研究所の設立と運営に尽力しましたが、敗戦によって軍国主義の推進機関として閉鎖されると松本に帰郷して農業に従事しました。それでも当然のように日本民族学協会理事長として学界に復帰し、昭和26(1951)年に東京都立大学教授になって以降、明治大学と東京外国語大学の教授、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所の理事長などを歴任して多くの後進を育てながら世界各国で開催された国際人類学民族学会に出席して国内外で日本の民族学の地位を確立しました。
岡博士の民族学では神話でさえも天孫降臨した天皇一派と抗争を繰り広げる土着民族として描かれている日本人の祖先は南洋から黒潮に乗って伝播した先住の縄文人と稲作を持って朝鮮半島から西日本に侵攻してきた後発の弥生人の2重構造になっているとされていますが、沖縄と青森に住んだ野僧は両所に共通した縄文人の面影を実感しました。
  1. 2023/12/04(月) 15:00:54|
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