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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ695

「貴方、寒いのにどうして家に入らないの」「うん、塩じゃあ駄目だろうな」旭川の広橋牧場に帰った照子は普段通りの生活に戻っている。そんなある日、洗濯物を取り込もうと大きな籠を抱えて通用口から庭の物干場に出ると迷彩服の上に作業外衣=フィールド・ジャケットを着た森田謙作予備2曹が立っていた。足元には洗濯物が目一杯詰まっている演習バッグがあるが、その顔は日没が早い北海道の秋空を映したかのように暗かった。
「塩って何を言ってるの」「うん、敵を大勢殺したから死霊を家の中に入れることはできないんだ。葬式の後、玄関前で身体に塩をかけるだろう。あれをやっておこうかなと思ってね・・・」森田予備2曹の説明に照子は経験してきた戦闘の過酷さを実感した。平時の即応予備自衛官の招集訓練に出かける時の森田予備2曹は国営放送の大河ドラマで見る出陣する若武者のような雰囲気で「どうぞご無事で」「どうか手柄を」と見送る奥方の台詞を口にしたくなる。訓練を終えて帰ると燃え尽き症候群になってはいても満足感を噛み締めながら何時もより多めに夕食を食べて夜の営みは20歳代前半で初めて抱いた時のように激しく挑みかかってくる。それが今回は沈痛な暗い影が全身を覆っているようだ。
「それじゃあ塩を持ってくるから待っててね」「頼む」照子はプラスチック製のオレンジ色の籠を物干し竿の下に置くと通用口から中に戻っていった。通用口は土足でも入っている台所やトイレにつながっている。台所では母と叔母たちが夕食の支度に励んでいた。
「照子、洗濯物は」「まだね。早いと思ったわ」「何か用なの」母と叔母たちはそれぞれの仕事をやりながら分担したように一連の言葉をかけてきた。母は料理の責任者らしくガス・レンジにかけてある大きな鍋の前で調味料を片手に煮物の味を調整している。照子は母の味見の仕草を見て相談を持ち掛けることにした。
照子は小学校の高学年から台所を手伝うようになると味見の時、汁を小皿に注いで口にするように厳しく躾けられた。母は単に唾液が料理に入ることを嫌ったのではなく「人の口から出る吐息や唾液には魂や霊が混じり込んでいる。お玉杓子に口を付けると鍋の料理に憑り移る」と恐ろし気な説話で脅しをかけてきた。母が言うには人が死ぬと霊魂は口から抜け出て身体を離れるらしい。しかし、祖父の死に顔は口を堅く結んでいたので照子が質問すると「鼻も口につながっている」と誤魔化した。
「謙作さんが帰ってきたの」「それは気がつかなかったわね」「挨拶に来なかったよ」「大丈夫だったの」今度の母と叔母たちの台詞の分担は多少のブレがあった。すると母は照子の強張った顔を見て一歩前に出て姿勢を正した。
「謙作さん、何だって」「それが・・・戦争で敵を殺したから死霊を家に入れることはできない。だからお清めの塩を振りかけてくれって頼まれたの」「ふーん、余程のことがあったんだね」照子の説明に母が相槌を打つと叔母たちも揃ってうなずいた。
「お父さんを呼んでお経を上げてもらえば好いよ。香炉を持って行って謙作さんに線香を立てさせるの。勿論、お経は一緒に詠むんだよ」「あの人はお経が得意だから大丈夫ね」意外な提案に照子は相談相手の選択が正しかったことに満足した。塩でのお清めは本来、神道の風習なので熱心な佛教徒の広橋家にはそぐわない。牧場経営を生業とする広橋家では死んだ牛や番犬の動物供養は欠かさない。さらに牧場に進入した樋熊を射殺することもあるので佛間には特注で手に入れた動物の供養のための馬頭観音像を祀ってある。
「そうかァ、親父からは祖父さんが樺太から帰還した時には村中の万歳で出迎えたって聞いてるがな。自衛隊さんは出征もコッソリ、帰還もヒッソリなんだな」照子が居間で休憩している父に声をかけて事情を説明すると不満そうな顔で応諾した。確かに森田予備2曹の出征=出陣は普段の招集訓練と同じように出かけてそのまま稚内に派遣された。稚内にいたのは札幌で放送していた自衛隊応援のFM番組に航空自衛隊稚内分屯基地の隊員が「ハズがいるよ」と簡潔なメールで知らせてくれたのだ。
「俺は手柄、武勲だと思ってるが本人が気にしているならお経を勤めよう。家族全員でやるから集合させろ」父は佛壇の香炉と線香立てを両手に持つと照子に指示を与えて台所がある土間に向かって廊下を歩き出した。影になっている後ろ姿は肩を怒らせて板を踏む足音も荒く父が怒った時そのままだった。
  1. 2023/12/12(火) 14:40:05|
  2. 夜の連続小説9
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