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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

12月13日・戦後日本の黒幕・安岡正篤の命日

昭和58(1983)年の明日12月13日は自民党の歴代首相を門下生にして戦後の保守政治に多大な影響を与えたため「戦後日本の黒幕」と呼ばれた東洋思想家=陽明学者の安岡正篤(まさひろ)さんの命日です。85歳でした。
安岡さんは明治31(1898)年に大阪の資産家の4男として生まれました。高野山金剛峰寺の堀田真快403世座主は実兄です。明治37(1904)年に尋常小学校に入学した頃から四書「大学」の素読を始め、旧制中学校では歩きながら読書していて電柱に衝突し、牛に突き当たるほど熱中するとやがて旧柳生藩の重臣の儒学者から直接教えを受けることになりました。
旧制中学校を卒業すると東京在住の高知の士族・安岡家の養子になって上京し、旧制第1高等学校に入学して大正8(1919)年には東京帝国大学法学部に進学して天皇主権説を唱える保守派憲法学者の上杉慎吉教授に師事しました。大正11(1922)年の卒業記念に出版した「王陽明研究」は学生が執筆した本としては異例の反響を呼びました。
卒業後は文部省に入省したものの半年で辞して翌年から皇居内に設置された社会教育研究所の主事の懇請を受けて東洋思想の講義を行い、大正12(1923)年の関東大震災後の組織の改編によって25歳で学監兼教授と教育部長も兼務することになりました。
同年に東洋思想研究所を設立すると第1次世界大戦の終結に浮かれたヨーロッパで始まったデモクラシー(民主主義)のお祭り騒ぎが日本に波及したのを批判して伝統的日本主義を提唱し、拓殖大学東洋思想講座の講師になると「日本精神の研究」や「天子論及官吏論」を出版して華族や政治家、軍人、官僚に多くの心酔者を作りました。
昭和になるとヨーロッパ発のデモクラシーの影にマルクス主義の革命運動が潜んでいることを察知した日本政府は取り締まりに乗り出し、その思想の引き締めに日本精神を用いたため国家主義・国粋主義が発生してそれが軍国主義に発展しました。
そうなると安岡さんは日本精神の教祖として神輿に乗せられ、昭和2(1927)年に東洋思想を教育する金鶏学園を設立すると昭和6(1931)年には三井・住友財閥の出資でその思想の実践の場として埼玉県の日本農士学校と福岡農士学校を開設しています。
そのような思想・教育活動とは別に軍国主義が蔓延していた日本では安岡さんの名声を利用する者が後を絶たず、金鶏学園も出身者が閣僚になったことで政界進出の通過点扱いされるようになって安岡さん自身も政府中枢で働くように仕向けられていったのです。
敗戦後は占領軍によって金鶏学園や農士学校は軍国主義を普及させる教育機関と見做されて解散に追い込まれ、安岡さんは財産没収、公職追放の憂き目に遭いましたが、軍国主義のお先棒を担ぐ必要がなくなったのでかえって意気軒高、東洋思想の原点に返って占領軍によって強制されているアメリカ式民主主義に公然と反論し、昭和26(1951)年に吉田茂首相と対談してからは昭和30(1955)年以降の自由民主党の思想的指導者として吉田学校の門下生=後の宰相たちに東洋宰相論、帝王学を講話して保守政権の基盤を固めることに貢献しました。ただし、本人は「黒幕」と呼ばれることを嫌っていました。
  1. 2023/12/12(火) 14:41:10|
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