fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ696

「お母さん、お父さんが近づいちゃあ駄目だって」照子が牛舎や別棟の叔父たちの家を回って全員を呼び集めて物干場に戻ると小学校の高学年になっている日和(ひより)が涙目になって胸に飛び込んできた。どうやら2階の自分の部屋から父の姿を見つけて駆け寄ると接近・接触を拒絶されたらしい。森田予備2曹としては我が子に死霊が憑依することを恐れたのだろうが札幌での避難生活の間、北海道各地で繰り広げられた戦闘のニュースを見て日和も子供なりの不安をつのらせていたのだ。そんな日和が父の無事な姿を見て爆発した喜びを身体で投げ渡そうとしたのを拒絶されて傷ついたのは当然だった。
「お父さんは戦争で死んだ人のお化けが着いてきているかも知れないって心配してるのよ。だから今からお祖父ちゃんと皆でお経を上げるの。日和も一緒に唱えてね」「お経ってギャーテーギャテーって言うのね。それでお化けがいなくなるの」「いなくなるように大きな声でね」「お化けか・・・」照子の説明に日和は首を傾げた。北海道の大自然の中で暮らしていると冷え込めば一夜にして森の色が変わり、雪と氷が溶けて日差しが元気を取り戻せば牧場が花畑になる大いなる存在の仕事を日常的に体験するため人間の亡霊などは怪奇現象にならない。だから照子も妖怪や怪物を含む「お化け」と表現した。
「謙作、お帰り」「無事に帰ったのね」「どこか怪我はしてないの」間もなく台所から母と叔母たちが出てきて住宅から来た子供たちと合流し、続いて牛舎から叔父たちが集まってきた。叔父や叔母たちは嬉しそうに声を掛けたが森田予備2曹は洗濯物を入れる籠を引っ繰り返して伏せた上に香炉と線香立て、灯明を並べた父の横で背を向けて黙っていた。
「見た通り謙作が無事に帰ってきたが、数多くの死を目の当たりにしたから死霊を連れてきたかも知れないと心配している。だから今から全員で般若心経を上げて線香を立てて死霊を祓うことにする。子供たちは最後の真言を大きな声で唱えなさい」「はい」祖父の説明に参列者たちは神妙な顔でうなずいた。それを確認した義父はポケットから取り出した100円ライターで灯明の蝋燭に火を点けて姿勢を正した。
「マカーハンニャーハラミータシンギョー(摩訶般若波羅蜜多心経)、観自在菩薩行探般若波羅蜜多時・・・」森田予備2曹の実家は父が次男なので佛壇はないが四国だけに帰省するとお遍路には頻繁に会い、札所の寺で唱えている般若心経は何度も耳にした。
「ギャーテーギャーテーパーラーギャーテーパラソーギャーテーボージソワカ(猲諦猲諦波羅猲諦波羅僧猲菩提薩婆訶)・・・」先ほど祖父が言った最後の真言になると子供たちも手を合わせて唱和を始め、先ず義父が線香を1本取って灯明で火を点けて香炉の中央に立てた。続いて義父に目で促された森田予備2曹も倣って合掌すると深く頭を下げた。そうして全員が参る間は真言の繰り返しになった。
「・・・ボージーソワカ ハンニャシンギョー(菩提薩婆訶 般若心経)。願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国」最後に照子と日和、周作が参ると義父が振り返り、それに合わせて全員が般若心経を詠み切り、義父が回向した。
「ここで我らが屯田兵、森田謙作2等陸曹の無事の帰還を祝して万歳を行う。回数は気が済むまで。森田謙作2曹、万歳」「万歳」「万歳」回向を終えた義父は少し枯れた声で万歳の音頭を取った。参る時に帽子を取っていた森田予備2曹は再び45度の敬礼をしてこれを受けた。やがて日和と周作が駆け寄って両脇にしがみついたところで万歳は終わった。
「捕虜収容所でロシア兵たちに接してるとウチの隊員と何も変わらない普通の人間なのを思い知らされました。敵として殺したロシア兵たちも戦争が終われば普通の人間に戻るはずだった。俺があのまま冬季オリンピックに出場していればアスリートとして闘ったかも知れない。そう思うと彼らの無念な想いが背中に圧し掛かってくるような気がしてきたんです」「なるほど・・・」夕食を終えて居間で義父や叔父たちと酒を酌み交わすと誰からともなく日露戦争で屯田兵として樺太に出征して帰還した時の逸話になり、それに応えて森田予備2曹は真情を説明した。森田予備2曹が稚内の第3高射群の展開地で射殺した破壊工作員が教員だったことは事情聴取を受けた警務隊の陸曹から聞いたが春木予備3曹と携帯式地対空ミサイルで撃墜したミル26大型輸送ヘリコプターの乗員ついては何も分からない。2人で割ってもかなりの人数になるはずだ。
  1. 2023/12/13(水) 15:31:17|
  2. 夜の連続小説9
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<「脱ゆとり」の成果だろう!日本の生徒の学力向上 | ホーム | 12月13日・戦後日本の黒幕・安岡正篤の命日>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/8860-70a882d1
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)