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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

12月18日・70年代革命闘争の発端・上赤坂交番襲撃事件

昭和45(1970)年の12月18日に70年代に吹き荒れた学生による共産革命運動を主導した過激派による武装闘争の発端と言うべき上赤坂交番襲撃事件が発生して横浜国立大学生の柴野春彦くんが日本の過激派としては初めて射殺されました。
事件の伏線は学生運動でも毛沢東主義を掲げる日本共産党革命左派神奈川県委員会=京浜安保共闘が昭和44(1969)年10月21日にアメリカ空軍横田基地に侵入して軍用機に爆弾を投げて災上・爆発させ、11月5日にもアメリカ海軍厚木基地で弾薬庫にダイナマイトを仕掛けた事件で12月8日に議長=最高指導者の川島豪くんが逮捕されたことでした。川島くんは高校まで受験勉強に励んできた優等生が大学内の流行に乗って参加した純粋なお人好しが多い中、学生運動を人民解放軍の前身と位置付けて武力闘争を指揮するカリスマ的指導者でした(出所後は汲み取り業者になった)。その川島くんが拘置所に面会に来た信奉者の幹部たちに「よど号事件を起こした赤軍派は何故、自分の釈放を日本政府に要求しなかったのか」と自分の奪還を示唆したため拘置所から裁判所を往復する護送車を襲撃する計画を立案したのです。しかし、武装した刑務官が同乗している護送車を襲撃するにはこれまでの爆弾やダイナマイトではなく拳銃や猟銃などの銃器が必要なので交番=派出所を襲撃して警察官が携帯している拳銃を奪うことを決定しました。
実行犯は柴野春彦くんをリーダーとして同じく横浜国立大学生の渡辺正則くん、川崎高校生の佐藤隆信くんの3人でビニールホースを被らせた鉄パイプと切り出しナイフ、千枚通しで武装して上赤坂交番を訪れると「自動車が故障したので迎えが来るまで待たせて欲しい」と勤務していた巡査に声をかけ、応対しようと立ち上がったところを鉄パイプで殴打して顔面を滅多打ちにしたため奥の待機室で物音を聞いた巡査長が扉を開けると中に押し入ろうとしていた柴野くんと鉢合わせになり、腰の拳銃に手を伸ばしたので蹴倒し、なお切り出しナイフで襲いかかってきたため警告しながら2発を発射、さらに巡査を殴り続けている2人にも発砲しました。その結果、柴野くんは即死、2人は足に命中してその場で逮捕されました。なお、巡査の拳銃も1発発射されていましたが本人は操作することが不可能な状況だったので暴行中に暴発したと判断されました。
ところが警視庁での記者会見でマスコミ関係者は事件の兇悪性は度外視して護身のための発砲と柴野くんの射殺を非難する質問を繰り返し、佐々淳行警務課長が「警察官の拳銃使用は正当である」と強弁したのを土田国保警務部長の発言として報道したため1年後の事件当日=昭和46(1971)年12月18日に自宅に送られてきた爆発物によって妻が爆死する事件が起きました。また佐々警務部長は昭和47(1972)年2月のあさま山荘事件の指揮を執った時、警察側の発砲を禁止して2名の殉職者を出しています(紛れ込んだ民間人1名も射殺された)。
そして武器の強奪に失敗した日本共産党革命左派過激派神奈川委員会は昭和46(1971)年2月17日に栃木県真岡市の銃砲店を襲撃して散弾銃9丁、ライフル銃1丁、空気銃1丁、銃弾2300発を奪いました。
  1. 2023/12/17(日) 15:32:14|
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