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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

12月21日・ドイツ派遣潜水艦で唯一の伊8が帰還した。

昭和18(1943)年の明日12月21日に5回実施された潜水艦のドイツ派遣で唯一帰還した2回目の伊8が呉軍港に到着しました。
伊8は伊7潜水艦の2番艦で全長109.3メートル、基準排水量2231トンの大型潜水艦にも関わらず水上速度は23ノット、水中速度は8ノットと高性能でした。昭和9(1934)年に川崎造船所で起工され、昭和13(1938)年に竣工して横須賀の第2艦隊第2潜水戦隊に配属されました。昭和16(1941)年からは前年に移籍した第3潜水戦隊の旗艦を潜水母艦・大鯨から引き継いでいます。
対米英戦争開戦時は根拠地にしていたマーシャル群島のクェゼリン環礁から出撃してオアフ島付近で待機しましたが、一旦、クェゼリン環礁に戻った後、昭和17(1942)年1月からはアメリカ西海岸での哨戒任務に当たり3月に呉軍港に帰還して整備を受けました。整備修了後、横須賀軍港に寄って出航すると3日後に東京に初めての空襲が加えられたためBー24爆撃機を搭載してきた空母機動部隊の捜索を命じられましたが発見できませんでした。ところが途中で第3潜水戦隊司令が急病になったため横須賀に引き返すことになり、交代した司令を乗艦させてクェゼリン環礁に向かうとマーシャル群島のルオット島近海で日本海軍の1式陸攻に誤爆されて潜航不能になって呉軍港に引き返して修理を受けることになりました。おまけに修理が完了して佐伯港に移動すると今度は貨物船を徴用して武装した盤谷丸に衝突して再び呉軍港で修理を受けたのです。
その後は太平洋の島々の哨戒や威力偵察を実施しますが、ヒトラー総統から贈与される潜水艦を日本に回航する乗員を送るドイツ派遣を命ぜられて昭和18(1943)年3月に呉軍港に戻り、燃料タンクの拡張や魚雷発射管を居住区にするなどの改造を加えられて6月1日に燃料補給任務を負う伊10と特設潜水母艦・日枝丸と共に出航しました。
航路は昭和17(1942)年の第1回の伊30と同じくシンガポール経由で7月10日にインド洋で燃料補給を受けた後、伊10は引き返しました。そうして8月20日にモロッコ沖の大西洋・アゾレス諸島付近で出迎えのドイツ海軍の潜水艦U161と会合し、8月30日には水雷艇3隻の歓迎を受けて8月31日に占領下のフランス・ブレスト軍港に到着しました。ところがドイツ滞在中の9月8日に3国同盟の一員だったイタリアが連合軍に無条件降伏して何をやってもケチがつくようです。
10月5日にブレスト軍港を出撃してからは無線交信を傍受していた連合軍の厳戒の中を航行して12月5日にシンガポールに寄港しましたが、譲渡されたUボート・U1224=呂501は大西洋中央部でアメリカ海軍の空母艦載機に撃沈されました。
12月21日に呉軍港に帰還してからはインド洋に出撃して通商破壊任務に当たりましたが、敗戦後に撃沈した商船の乗員を甲板に救い上げながら虐殺する戦争犯罪を行ったとの嫌疑をかけられています(被疑者の艦長は降伏時に自決していたため嫌疑のみ)。
伊8の最期は沖縄戦で地上部隊が上陸する2日前の昭和20(1945)年3月30日に沖縄本島の東シナ海側でアメリカ海軍の駆逐艦に発見されて撃沈されました。
  1. 2023/12/20(水) 16:57:08|
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