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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

ニュースセンター9時の初代キャスター・磯村尚徳さんの逝去を悼む。

12月9日に野僧が中学校に入学した昭和49(9174)年4月1日に始まったNHKの報道番組・ニュースセンター9時の初代メインキャスターだった磯村尚徳が亡くったそうです。94歳でした。
磯村さんは番組の編集長を兼務していたためそれまでのニュースで原稿を読むだけだったアナウンサーとは異なり(報道業界ではトーキング・マシーンと揶揄されていた)、解説や批評をニュースの流れで語り、個人的な感想まで付け加えていました。
それを見て父親は「ニュースを私物化している」と怒っていましたがNHKとしては海外では常識になっていたニュースを材料にして議論を楽しむ報道バラエティー番組の先駆けのつもりだったので視聴者の固定観念を打破できるまでは苦心惨憺だったのでしょう。
また磯村さんはパリ帰りのキザっぽさをあえて鼻にかけるところがあり、日本では見ないライト・グレーなど明るい色の襟の幅が極端に広いスーツを着ていたため新聞などの番組評で「象の耳のようだ」と皮肉を投げかけられていました。
磯村さんは昭和4(1929)年に東京で祖父は陸軍大将、父も陸軍中将の軍人の家庭に生まれました。小学校は皇室・皇族の学問所だった戦前の学習院の初等科でしたが、入学して間もなく父がトルコ駐在武官になったため現地のフランス人学校に転入して小学校時代の大半を過ごしました。ここでフランス語を完璧に習得したようです。
帰国後は学習院に復帰しましたが、旧制中学校だけは現在の都立戸山高校に入り、昭和20(1945)年7月10日に中部軍管区参謀副長だった父が山梨県上空でアメリカ軍に撃墜されて戦死しましたが敗戦後には新制の学習院大学に進学=復帰しています。
昭和28(1953)年に大学を卒業するとフランス語に堪能な人材を探していたNHKに入局し、新人でありながら東京報道局に配属されて翌年に外信部に移動するとハノイ(ベトナムはフランスの植民地だった)とカイロの特派員を経て昭和33(1958)年にヨーロッパ総局パリ支局の特派員になりました。
昭和37(1962)年に帰国すると日本式記者の見習いのように記者クラブや政治家の番記者を経験しましたが昭和41(1966)年からはワシントン支局長、昭和46(1971)年に帰国して外信部長に昇格、昭和49(1974)年から報道局副主幹を務めている時に前述の新たな報道バラエティー番組を企画している報道番組部長と報道局次長から依頼を受けて編集長を兼務するメインキャスターに就任したのです。
磯村さんは編集長として番組を編成する権限も与えられていたためそれまでのニュースの政治、経済の後に社会問題を取り上げる優先順位を打破して欧米の報道バラエティー番組式に視聴者の関心度の高さを基準にして時には番組冒頭でスポーツの結果を紹介することもありました。
ただし、それを形式的に模倣した後発の報道バラエティー番組が大した見識も有さないタレント的メインキャスターが「毒舌」を売り物にするなど低次元化しているのも確かで開拓者の磯村さんがどのような想いで今のテレビを見ていたのか・・・。冥福を祈ります。
  1. 2023/12/22(金) 11:36:47|
  2. 追悼・告別・永訣文
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