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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

12月25日・比叡山延暦寺で天台座主と真言宗管長が対面した。

2011年の12月25日に比叡山延暦寺で平安時代初期以来1200年ぶりに天台宗の半田孝淳座主と真言宗の松長有慶管長が対面しました。
比叡山延暦寺の天台宗と高野山金剛峰寺の真言宗の反目・対立は日本佛教史の最大の謎とされていますが、現在まで伝承している理由としては唐で最先端の密教を学び恵果阿闍梨の允可を受けて帰国した真言宗の宗祖・弘法大師空海さまに唐では時代遅れになりつつあった妙法蓮華経を学問として習得して多くの経典を持ち帰った天台宗の宗祖・伝教大師最澄さまが僧侶としては上位でありながら礼を尽くして教えを請い、弟子となっても真摯に学ぼうとする態度に感銘を受けた弘法大師さまも惜しまず経典を貸し出して質疑に応答してきたにも関わらず真言密教の最高奥義である般若理趣経=大楽金剛不空真実三摩耶経だけは貸し出しを拒否したことだと言われています。
これについて野僧が奈良の幹部候補生学校から比叡山に修行体験に行った時、指導に当たった学僧は「伝教大師の頭脳の明晰さに恐れを為した空海が教義の奥義を奪われると太刀打ちできなくなると肝心の部分を秘匿した」と揶揄していたのに対して個人的に教えを受けた真言宗の高僧は「最澄さんが佛教を文章で学問として理解する人物だと見て取ったお太師さんが『煩悩を肯定する理趣経を知れば誤った方向に走りかねない』と危惧して敢えて先に進まなかった」と解説していました。
何にしてもそれから1200年間もこの2大教団は抗争こそ犯さなかったものの交流を持たず真言宗は本来の教義が山岳信仰による加持祈祷と天文・地質学、土木工学、薬学医学などの最新科学を網羅しているため分派を繰り返しながら発展を続け、天台宗は平安時代末期から鎌倉時代にかけて念佛門や禅門、法華門を派生させてきました。尤も比叡山の学僧たちは鎌倉佛教の祖師たちを「脱落者」と誹謗し、特に妙法蓮華経の勝手な理解で他の宗派を口汚く批判し、比叡山が密教も取り入れていることを堕落として敵対するようになった日蓮聖人には容赦がありませんでした。
さらに一向一揆を指揮する石山本願寺の攻城戦に苦慮した織田信長公によって比叡山が焼き討ちされても高野山は交渉による打開を図り、石山本願寺に与した荒木村重さんの家臣を匿っていることが発覚して軍を派遣されると本能寺の変が発生して難を逃れました。豊臣秀吉さんによる修験道の本山・根来寺攻めでは多大な損害を被りましたが徳川家康公の庇護を受けて宗教教団としては復興を遂げています。
それでも明治新政府が吹き荒れさせた神佛分離や修験道禁止などの廃佛毀釋の凶風には別々に防戦一方でした。明治政府=大日本帝国が佛罰を受けて77年間でこの国を滅亡させたことを思うとここで共同戦線を張って法力で政府を転覆させてもらいたかった。
松長管長は2008年から2010年まで全日本佛教会の会長を務めましたから公式の場での面識はあったはずで1200年間のわだかまりを解消することに努めたのでしょう。その後、半田座主も臨済宗妙心寺派の河野大通禅師を間において2012年から2014年に就任しています。
  1. 2023/12/25(月) 15:54:05|
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