fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

謹賀新年・扶桑佛暦2568年

新年は意識がないまま病院で迎えました。
今冬は前例がない異常な高温と過酷な寒波の繰り返しですが収入を稼いでいる同居人が暖房を嫌うため居候としてはストーブと燃料はあっても必要最小限しか使う訳にはいかず室温5度以下の方丈の炬燵で暖を取る生活が続きました。
そのため12月20日過ぎの異常な寒波で体調を崩して20日に立ち眩みで意識を失って仰向けに転倒、左後背部をテーブルの木製椅子の背もたれに強打して左背中の露骨を折りました。すると行動が大きく制約を受けたところへ以前、自転車による日本一周旅行で宿泊させた友人の大学教授の教え子が愛知県豊橋市在住の「両親と訪問したい」と連絡してきたため安静にしていることができなくなりました。
しかも当日は山口県内でも大雪の最盛期だったので宿泊した山口市から美祢市を通って下関市に抜ける道路は封鎖されていて連絡を受けていた予定よりも3時間遅れで到着したのです(愛車のBMWはノーマル・タイヤだった)。その父親の説明では「10月下旬の左足小指の骨折の発生状況を聞くとかなり危ないのではないかと思いせめて息子を導いてくれた方に会って一言お礼が言いたかった」とのことでしたが、本人は数年前にも唐突に年末に押しかけてきて年末の作務で扱き使った仕上げに除夜の鐘も打たせたものの「多忙な年末は訪問を避ける」と言う常識は家族として持ち合わせていないことが判明しました。
すると父親の説明が予言になったように12月26日からは絶え間ない嘔吐と下痢が始まり、脱水症状で意識が朦朧として12月27日に主治医に通院すると28日から近くはない済生会病院に入院して意識がハッキリしないまま年を越すことになりました。おかげで9回目の除夜の鐘は打てませんでした。
ところが担当医は「激しい嘔吐で食欲がない」と判断したまま休暇に入ってしまい通算10日以上も絶食する羽目になり、1月2日の深夜に吐き気が止まって意識が回復してからは250ccの缶入り栄養剤を1日1本だけで過ごし、おまけにこの済生会病院は休業中(通常の土曜・日曜日と旗日を含む)の事前に許可を受けていない家族の面会は原則禁止、院内売店も休みなので栄養剤が唯一の飲み物=食べ物でした。とどめに1月4日には大腸検査が入っていたため絶食が続いた上、大量の下剤と水を飲まされました。
快哉だったのは10日間の絶食中にも持病である膵臓の機能障害(浜松の主治医=静岡医科大学の博士が「Ⅰ型糖尿病では誤解される」と付けた診断名)が頻発して血糖値が危険水準にまで何度も跳ね上がったため看護師たちも経験したことがない事態に「糖尿病患者=栄養価の過剰摂取」と言う先入観を捨てざるを得なくなり(青森でも冬場に暖房を使えず入院しましたが今回は快適な病室でした)、仕事始めも2日目になって顔を出した担当医は血糖値の乱高下に加えて検査結果も全く異状がなかったので場当たり的な処置が始まりました。尤も野僧の後発性Ⅰ型糖尿病を医学界に報告論文を提出した静岡医科大学の博士は「原因は大学病院に1ヶ月入院しても探求できるとは言えない」と説明していました。
結局、10日間の絶食による消化器系の機能を回復させるリハビリのための入院になっていました。確かに暖房が効いた病室で自炊しないで過ごせたのだけは助かりました。何よりも久しぶりに生きた人間と会話し、身体に触れてもらえました。
  1. 2024/01/18(木) 10:07:20|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<続・振り向けばイエスタディ709 | ホーム | 12月25日・比叡山延暦寺で天台座主と真言宗管長が対面した。>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/8888-e59d9624
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)