fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

1月20日・飯田線で列車転落事故が発生した。

昭和30(1955)年の1月20日の午後9時5分頃に愛知県の豊橋駅から長野県の飯田駅、辰野駅を通り過ぎて上諏訪駅までを結ぶ飯田線でも長野県下伊那郡泰早村の田本駅と門島駅の間で落石に乗り上げた列車が天竜川の支流・明島川に転落して乗客と乗務員33人中8人が死亡する事故が発生しました。
この区間は中央構造線の活断層の断崖絶壁沿いに走っているため台風や豪雨などでなくても大小の落石が絶えず当時の国鉄としても点検を欠かしませんでしたが、この時期の山間部は日没が早くその後に発生した落石を発見することは通過する列車の目撃によるしかなく極めて困難でした。
実際、2004年10月2日の午後10時50分頃にも長野県上伊那郡辰野町の羽場駅と伊那新町駅の間で飯田駅発、辰野駅行きの119系型2両編成の列車が台風23号の影響で流出した土砂に乗り上げて脱線・転覆したまま3メートル下へ落下して乗客と乗務員5名が負傷する事故が起きています。
この時は人間1人では抱えられないほどの大きな落石が線路上に転がり込んでいて運転手が前照灯で発見して急ブレーキをかけましたが間に合わず、乗り上げて脱線・転覆すると敷石の上を約50メートル逸走して大表沢鉄橋から10数メートル下の明島川の河原に落下したのです。
この列車は豊橋駅発、飯田駅行きの最終便で前がモハ14033型、後がクハ18003型の2両編成でしたが、連結部が千切れて前の車両は鉄橋の真下に落下して横転・大破し、後の車両は斜面を転がって排水溝に仰向けになって大破しました。
飯田線は国鉄・JR東海では地方路線=ローカル線に分類されていますが、東海道線・東海道新幹線の豊橋駅と長野県南部を結ぶ事実上の主要幹線として重要視されてきました(その点、JR西日本は主要幹線である山陰本線を2023年7月1日の台風豪雨の水害で当地の鉄橋が流され、崖からの風倒木と落石によって線路が被害を受けたのを放置して当該区間を運行停止にしている)。そのため線路は東海道線や山陽本線などの主要幹線用と同じ規格で他のローカル線では走らせられない老朽化した花形列車の引退前の晴れ舞台として鉄道マニアの聖地になっています。
しかし、飯田線の敷設は国鉄としての国家事業ではなく国策によって国鉄に吸収される前の地方私鉄と地元有志によって進められ、それを昭和30(1955)年からの佐久間ダムに代表される天竜川や河川の豊川(とよがわ)上流などに相次いで建設されたダムの工事資材と労働者の運搬が後押ししたのです。
特に当初は下地駅(豊橋駅からは河川の豊川の対岸=下地駅を始発駅にしたのは鉄橋の建設費用を節約するため)、明治30(1897)年からは吉田駅(現在の豊橋駅)と大海駅(現在の長篠駅)までは豊川鉄道が建設・運行していました。一方、大海駅から三河川合駅までは鳳来寺鉄道、三河川合駅から天竜峡駅までは三信鉄道、天竜峡駅から辰野駅までは伊那電気鉄道でしたが戦時下の昭和18(1943)年に国鉄に吸収されました。
  1. 2024/01/20(土) 09:53:08|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<続・振り向けばイエスタディ712 | ホーム | 続・振り向けばイエスタディ711>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/8893-3df3d768
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)