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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

1月1日・豊田市が「世界のトヨタ」の社名をもらった。

昭和34(1959)年の遡る1月1日に岡崎市と共に愛知県の中央部で今では名古屋市に匹敵する存在感を発揮している豊田市が現在の市名に改称しました。
この改称は町村合併などではなく市が独自の判断で長い歴史と格式(地名の由来は垂仁天皇の子孫・諸呂母別=コロモノワケさんが移り住んだことによる)を有する地名の「拳母(ころも)」を刈谷市に本社を置く自動織機メーカーの分社だった私企業の社名と静岡県敷地郡山口村(現在の湖西市)出身の経営者一族の姓に変更したのです。
ちなみに改称したのが昭和34(1959)年と野僧が生まれる2年前だったため隣りの岡崎市に住むようになった頃にはまだ5年も経っておらず地元の人たちの間では江戸時代の城の呼名や城下町の地名として呼び慣れてきた「拳母(ころも)」が定着していて大人の会話でも「豊田?拳母のことか」と言う確認が交わされていました。また師僧=祖父の母親が再嫁した寺は拳母市内にあったため親族は「拳母のお寺」と呼んでいて子供心に「どこの寺の坊さんも『法衣(ころも)』を着ているのにどうしてコロモのお寺って呼ぶんだろう」と首を傾げていました。
この他に類を見ない改称は昭和33(1958)年に商工会議所が提唱したのですが、その理由としては昭和30(1955)年に高級車・クラウンを発売するなど自動車産業として発展を続け、関連企業や工場の進出が本格化しているトヨタ自動車と一体化することが地方自治体として将来を展望する上で必要だとする建前と「拳母」と言う地名は難解でトヨタ自動車を含む市内の企業の多くは漢字ではなく「愛知県コロモ市」と片仮名で表記している上、「コロモ」では長野県の小諸(こもろ)市と混同されることが多いと言う本音を説明して市議会での審議と市民への周知が図られました。
当然、賛否両論が沸き起こり、結果は予測不能の様相を呈しましたがすでに市民の多くはトヨタ自動車と関連工場の従業員であり、商店も社員と家族を顧客としているため賛成票を投じ、昭和34(1959)年の1月に変更が決定したのです。このため愛知県民の中には「トヨダ市」と濁音で呼ぶ人もいますが、正しくはトヨタ自動車と同じく「トヨタ市」です(他県民は自動車の企業名で呼ぶので濁音にはしない)。
この改称は大正解でその後のトヨタ自動車の世界的発展に豊田市も一体化して平成の大合併の結果、面積では愛知県で一番広く、人口でも名古屋市に次いで2位になっただけでなく地元企業を大切にするトヨタ自動車の社風で県内からの人の往来と部品の調達が拡大して公共交通機関が極めて整備されたため昼夜間人口では夜間の方が110.5パーセントとホームタウンとしても発展しています。さらに2005年の愛知万博では展示会場になり、トヨタ・スタジアムでは2019年サッカー・ワールドカップが行われました(合併しても行政の無能で衰退の一途を辿っている山口県下関市とは大違い)。
ちなみに愛知県には「豊」が着く市は「豊田」の他にも「豊橋」「豊川」「豊明」がありますが、「豊橋」は廃藩置県の時に旧藩主のクジ引きで決まり、「豊川」は豊川稲荷、「豊明」は老舗の酒蔵・豊倉と明治から採っているので大差ありません。
  1. 2024/01/22(月) 12:54:42|
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