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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

1月3日・陸軍の特種揚陸船・神州丸が撃沈された。

昭和20(1945)年のさかのぼる1月3日に現在のアメリカ海軍が海兵隊の上陸作戦で使用している強襲艦の先駆けと言うべき日本陸軍の特種揚陸船・神州丸がアメリカ海軍の艦載機の攻撃を受けて航行不能になり、生存者が退船・放棄して漂流していた台湾・高雄の南西約90キロの海域でアメリカ海軍の潜水艦に撃沈されました。
神州丸は大陸戦線の拡大によって中国の大河を渡河する必要に迫られた陸軍が開発したエンジン動力の渡河用舟艇の大発が極めて優秀だったためこれを機動的に運用し、離島の上陸作戦でも使用する運搬船として昭和9(1934)年に舞鶴海軍工廠で竣工しました。
神州丸の最大の特徴は船内に大発を収納するドッグを持っていたことで上陸部隊は船内で大発に乗り込み、目標地点近海でドッグのレールを滑らせて開いた後部扉から発進するのです。それまでの輸送船ではクレーンで海面に吊り下ろした上陸用舟艇に部隊は舷側に垂らした縄梯子などで下りて乗り組む必要がありましたが、これが省略されたことで大幅に時間を短縮できました。
神州丸は全長144メートル、排水量8108トンでも吃水(水面から船底までの高さ)は4・2メートルなので中国の大河であればかなり上流まで航行可能であり、陸軍は大陸戦線に投入して多大な戦果を上げて自信を深め、フランス領インドシナ=ベトナムの占領では海岸への上陸にも使用して経験を積んでいました。
こうして迎えた昭和16(1941)年12月8日のマレー半島上陸作戦でも神州丸はタイ領シンゴラへの山下奉文中将の第25軍司令部要員の上陸を担当しました。この時の軍参謀長は後に陸軍船舶部隊=暁部隊の司令官になる鈴木宗作中将でした。
ところが続くジャワ島=インドネシア上陸作戦では昭和17(1942)年3月1日の深夜に護衛の日本海軍の艦艇が発射した魚雷が目標だったイギリス艦の下を通り過ぎて神州丸と病院船、通常の輸送船、掃海艇に命中して上陸準備をしていた今村均中将以下の第16軍司令部要員は油が浮いた海面で泳ぐ羽目になりました。
それでも遠浅の海に着底しただけだったため陸軍は上陸作戦に欠かすことができない神州丸の復活に執念を燃やし、加害責任を自覚している(公的にはイギリス艦の魚雷としていた)海軍も全面協力して日本から多くのサルベージ会社の技術者を派遣すると約2ヶ月かけて浮上させ、シンガポールでの応急修理を経て日本に回航して建造した舞鶴海軍工廠で新品同様に修理されたのです。
復活後は主にフィリピンやベトナムなどの南方戦線の部隊増強に八面六臂の活躍をしましたが、マックアーサー元帥の反転攻勢を受けているフィリピンからの脱出者を台湾に運ぶ任務を命じられて無事に台湾・高雄まで送り届けるとアメリカ海軍の空襲が始まったため搭載している対空火砲で果敢に迎撃する一方で沖に退避しました。そして特異な外観の神州丸に興味を示したアメリカ海軍が集中攻撃を加えると防ぎ切れずに船橋と煙突付近に数発の命中弾を受けて誘爆が始まったため船長と対空火砲の指揮官が退船命令を下して生存者が脱出したのです。アメリカ軍の潜水艦に雷撃されたのは12時間後でした。
陸軍・神州丸
後部扉から大発を運用中の神州丸
  1. 2024/01/23(火) 12:08:26|
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