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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

1月4日・日本的女性美を具現化した篠山紀信さんの逝去を悼む。

野僧の意識が戻ったのは1月2日の深夜でしたが済生会豊浦病院は休日の面会には担当医の許可が必要なため同居人は4日まで来ることはなく6日になって持ってき5日の新聞に篠山紀信さんの訃報が載っていました。83歳でした。
野僧の世代は就職するとカメラを買う奴が多く外出にも首からカメラを提げて歩き回っていましたが、野僧は高校写真部の後輩(卒業式の後、制服の第2ボタンを渡した)から「人物写真には100ミリくらいの望遠レンズを使った方が良い」と技術的な指導を受けていたので女の子を撮りまくりっていて、沖縄に赴任すると職場や内務班にはカメラ小僧が揃っていて壁に自信作を並べた部屋で技術談義と器材の自慢に花が咲いていたのです。そこで野僧は彼女=亡き妻がハーフと言うこともあってプロのモデルを雇っているような作品が撮影できましたが、同時に技術を研究する必要を感じて有名カメラマンの写真集を買って作品を見比べるようになり、そんな中で野僧は高校時代に研究材料として「篠山紀信の135人の女ともだち」を購入していたものの水沢アキさんのファンの先輩に貸しっ放しになったため篠山さんが「激写」シリーズを連載し始めた「GORO」や「写楽(しゃがく)」を定期購読し、文庫本サイズの「激写」シリーズを買い揃えるようになりました。すると周囲の女性専門のカメラ小僧たちは「篠山紀信の作品は太陽光を用いているので誰にでも撮れる」とあまり評価していないでソフトフォーカスを用いた幻想的な背景の中で無表情な女性の目に語らせるようなでデイヴィット・ハミルトンさんやモデルの醜い表情を女の本性としてあえて晒しているような立木義浩さんなどに好みは分かれていました。それでも野僧は日本画の高塚省吾画伯の女性美に通じる自然体を捉えた篠山作品が好きでした。
篠山さんは昭和15(1940)年に東京の新宿区の真言宗豊山派の寺の住職の次男として生まれましたが昭和19(1944)年に父は戦死しました。敗戦後は浄土宗の芝学園の中学校・高校に進み、大学受験で失敗したため特に写真に興味はなかったにも関わらず衝動的に日本大学芸術学部写真学科に願書を提出して合格したのです。すると坊主の息子らしく因縁に身を任せるようにプロの写真家を志すようになり、大学の他に写真専門学校にも通って知識と技術を高めると新進の写真家として知られるようになりました。
この頃の作品は女性だけでなく歌舞伎の坂東玉三郎さんや風景に溶け込む廃墟や古い街並みを撮影した家シリーズなど多岐にわたりましたが、昭和54(1979)年に発売した前述の「135人の女ともだち」の爆発的ヒットで女性のヌードの依頼が殺到するようになり、1991年に人気絶頂だった宮沢りえさんのヌード写真集「Santa Fe」を発売したことでヌード写真家としての地位が確定してしまったようです。
しかし、野僧の世代にとって清純派アイドル歌手の代表である南沙織さんを私物化したことで夏目雅子さんと篠ひろ子さんを嫁にした伊集院静さんと並ぶ許し難い人物になり、カラオケで唄いながら「山下達郎と竹内まりや夫婦とどちらが不釣り合いか」と妙な議論をしたものでした。真言宗なので「南無大師遍照金剛」を唱えて冥福を祈りました。
園みどり「激写」園みどり(刑事物語・りんごの詩のヒロイン)
  1. 2024/01/26(金) 14:17:41|
  2. 追悼・告別・永訣文
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