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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

2月6日・箱根=深良用水のトンネルが貫通した。

4代将軍・徳川家綱公の時代だった寛文10(1670)年の太陰暦の明日2月6日に小学校の社会の授業では「箱根用水」と習った深良用水の芦ノ湖の湖水を現在の静岡県裾野市一帯に注ぐためのトンネルが貫通しました。ただし、公的機関の深良用水完成記念日は太陽暦で2月25日になっています。
現在の裾野市一帯は火山性の地質のため保水性が弱く、河川も硬い岩盤が露出する場所まで流量が少ないので水田による稲作には不向きでした。駿河と甲斐は天領なので年貢の取り立ては甘いと思われがちですが幕府自体が財政難に陥ると米の増産は収入増に直結するため急務になり、代官や庄屋、名主は苦悩することになりました
そんな中、深良村の名主の大庭源之丞さんが底知れぬ深い湖に満々と水を溜めている芦ノ湖の水を引くことを幕府に提案して内諾を得ると箱根を領有する小田原藩と箱根権現の別頭(神佛習合だったので僧侶)の理解を得ることに成功し、灌漑によって収穫が増えた裾野一帯の米を優先的に買いつける約束の下、江戸の豪商・友野与右衛門の財政支援を取りつけて寛文6(1666)年に芦ノ湖の湖面に堤を築いた壁と深良村の塩尻峠の裾の崖から掘削を始めたのです。勿論、人力の手作業でした。
日本人は薩長土肥の明治政府が文明開化を推し進めるために江戸時代を否定することに躍起になったため西洋文明であれば何でも先進技術と持て囃し、江戸時代以前の職人技を非科学的で時代遅れな遺物と否定しますが平安時代から東北地方では安倍一族・奥州藤原氏によって金山の採掘が行われていて戦国時代には甲斐の金山が武田氏の軍資金になったことで露天掘りや石壁を掘り崩す欧米式ではない坑道を掘削する技術が著しく発展しました。箱根はその甲斐に近いので武田氏の金山の技術を受け継ぐ末裔の動員が可能だったはずで、それが現代人も驚くほど高度なトンネルを完成させる技術力の礎になったのでしょう。
実際、箱根用水のトンネルは箱根の外輪山と塩尻峠の下を掘り抜き、全長1280.3メートル、高さ1.8メートル、幅1.8メートルで両側から掘り進めた接合部には湖面側が1メートル高い段差しかありませんでした。この程度の段差は湖水の時速4キロの流入量を考えれば問題になりません。また職人たちが酸素欠乏にならないようにところどころに垂直の空気穴を掘っているなど安全対策も先進的でした。ただし、幕府は掘削技術の漏洩を畏れたのかこの工事に関する公的記録は残していません。
この完成による灌漑で現在の裾野市一帯の2市2町の527.2クタールの荒れ地が水田になっていて湖水が流入している深良川には東京電力の水力発電所が稼働しています(それほど流量が豊富)。
その一方で箱根用水によって芦ノ湖の湖面の水位が下がって灌漑が滞っていた湖畔の仙谷村が明治28(1895)年(=江戸時代では幕政批判になった)に取水制限を静岡県に申請しましたが却下されたため静岡県側の水利組合が流量維持のために芦ノ湖の流入口に設置していた湖尻逆川甲羅伏せ(石組みの取水口の強化設備)を破壊する「逆川事件」を起こしました。
  1. 2024/02/05(月) 11:57:50|
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