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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

空と海の北の守りの要は同期(?)が入れ替わった。

年末の新聞にアメリカ海軍の軍人の最高位の作戦部長に2023年11月2日付で女性のリサ・フランチェスティ大将が就任すると言うニュースの続報のように「陸海空自衛隊では初めて女性自衛官が海将に昇任して大湊地方総監に就任する」と言う人事情報が載りましたが、その氏名を読んで「若しや」と思っていたところ写真入りの記事になって「やっぱり可愛いな」になりました。
航空自衛隊の北部航空方面隊司令官は2021年9月30日から幹部候補生学校と幹部学校普通課程=SOCの同期で防衛大学校出身の安藤忠司空将でしたが2023年12月21日付で浜松基地の航空教育集団司令官に転任しました。安藤空将とは幹部候補生学校の中隊も同じだったため戦史・武士道などを熱く語り合って目黒基地の幹部学校で再会した時には「東京グルメ巡り」と目黒の巨大レンタルビデオ・ショップで借りる映画鑑賞に励んでいて世界各国の料理を食べ比べた感想と映画評論で盛り上がっていました。
そんな安藤空将が三沢基地の北部航空方面隊司令官を離任した翌日付で海上自衛隊の大湊地方総監に近藤奈津枝海将が着任したのですが、野僧は昭和63(1988)年の7月に山口駐屯地で行われた一般幹部候補生(部外)課程の一次試験で一緒になり、席が前後だったこともあって「航空自衛官なのに海上自衛隊を受験する理由」から始まり、「航空と海上の違い」「海上自衛隊に関して知っていること」などで談笑して親しくなりました。ただし、近藤さんは海上自衛隊岩国基地の城下町である岩国市出身なので海上自衛官の友人が多くて知識は豊富、当時は中学校の先生でしたがすでに使命感は強固でした。
野僧は1次試験に合格して8月7日に海上自衛隊呉基地で実施された2次試験を受験することになり、原爆の日の8月6日に制服を着て広島駅で下り、呉線に乗り換えると胸に原水禁のゼッケンをつけた活動家たちに取り囲まれて悪意に満ちた質問を受けながら終点の呉駅まで行くことになりました。そうして精神的に消耗し切って翌朝に試験の受付に行くと近藤さんが可愛らしい笑顔で迎えてくれて元気が回復したのです。
2次試験は身体検査と面接でしたが、身体検査は男女一緒で男子はパンツ一丁、女子は短パンに胸の下着なしの白のTシャツでした。そのため前屈の測定では近藤さんの巨乳がハッキリ見えたのですが男性器が変な反応をしても困るので視線を逸らしていました。
そんな2次試験は面接官だった江田島の幹部候補生学校長が「来年の春に君が入校してくるのを楽しみにしている」と言ってくれたにも関わらず中学生以来の海軍少年の夢は海の藻屑と消えたのでした。やはり海上自衛隊生徒の合格通知を父親に破り捨てられて切られた縁は一般海曹候補学生を2回、海上自衛隊の航空学生を1回2次試験で失敗しても修復できず、切れっ放しで海面に漂っていたようでず。
ところが同じ年の航空自衛隊の部内課程に合格して翌平成元(1989)年に奈良基地の幹部候補生学校に入校すると8月に江田島研修があり、ここで近藤さんと再会を果たしました(制服が似合っていた)。ただし、近藤さんは「やっぱり航空の枠で合格したんですね」と喜んでくれましたが勘違いでした。あくまでも「幻の同期」でした。
つ・幻の同期・近藤奈津枝さん
  1. 2024/02/09(金) 15:55:32|
  2. 常々臭ッ(つねづねくさッ)
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