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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

2月15日・真偽・虚実不明の殉教者・レステレポ司祭が戦死した。

1965年の明日2月15日にコロンビアでマルクス主義とカソリックを一体化させた民族解放闘争を提唱したカミロ・トーレス・レステレポ司祭が戦死しました。37歳でした。
レステレポ司祭は1929年にコロンビアの首都・ボゴタで医者の父とブルジョア階層出身の母の間に生まれましたが1937年に両親が離婚したため弟と一緒に母の下で暮らすことになりました。やがてボゴタの聖母学院に入学しましたが教員たちの授業の誤りを公然と批判したことで退学させられてリセオ・デ・セルバンテスの中等課程に転入して1946年に修了するとコロンビア国立大学の法学部に進学しました。ところがこの大学は1学期のみで中退してコンシアール神学校に編入して7年間学びました。
一般的にカソリックの神学校や修道院では俗社会から隔絶した環境で宗教儀礼の習熟と敬虔な信仰による神秘体験を尊重しますが、レステレポ学生は逆に神学校から「ラ・ビオレンシア=暴力の時代」と呼ばれる抗争に明け暮れるコロンビア社会を注視していました。
コロンビアでは1948年に保守政権によって自由党の大統領候補が暗殺されたことで発生した内戦の結果、1950年代に入って成立した超保守政権が国民の大半が信仰しているカソリックを取り込んで後ろ盾にすると全土でキューバ革命の影響を受けた共産主義ゲリラの徹底的な掃討作戦を開始しました。
レステレポ学生はそんな暗黒のコロンビア社会でカソリックに何ができて、何をするべきかを熟慮し続けてその真摯な思索を周囲には宗教的探求と理解されて1954年に25歳の若さで司祭に叙階されるとベルギーのルーヴェン・カトリック大学に留学して学究と思索を継続することになりました。
平和なベルギーでの学究生活を終えてコロンビアに帰ると1953年に起きたクーデターによって成立した軍事政権が農民を虐待した地主を恩赦にしたことで暴動が発生し、大統領に敬意を払わなかったと言う理由で多くの市民が迫害されるなど国家の混乱は末期状態に陥っていました。
それに対してレステレポ司祭はコロンビア国立大学で教壇に立つと「カソリックが迫害対象になっている共産主義ゲリラと一体化して軍事政権を打倒するべきだ」と学生たちを扇動したのです。このレステレポ司祭の主張はコロンビア政府とカソリック教会からは強烈な批判を浴び、逆に労働者階層や貧しい農民たちからは多大な支持を集めましたが、大学での妨害が公然化したため辞職して地下のゲリラ活動に身を投じました。
ここまで紹介するとレステレポ司祭が軍事独裁政権による市民迫害に抵抗した英雄であり、ゲリラ戦で戦死した殉教者のようですが、軍事政権が起こしたクーデターは内戦を引き起こした超保守政権を打倒するべく上流階級と下層民の双方からの要請を受けた救国行動であり、実際に社会の安定を回復して経済の立て直しに成功していたのです。しかし、キューバ革命の成功を中南米に拡大しようと画策したソビエト共産党によって大量に武器を供与された共産主義ゲリラが暗躍したためコロンビアは2016年の和平まで半世紀以上に渡る混乱の歴史を刻むことになりました。その意味では亡国の徒です。
  1. 2024/02/14(水) 15:06:29|
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