fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

2月17日・アパッチのジェロニモの命日

1909年の明日2月17日はかつてのアメリカン・インディアン(アメリカのインド人)、現在のネイティブ・アメリカ人(アメリカの原住民)の象徴的存在とされていたアパッチ(地域の各部族の総称)のジェロニモさんの命日です。79歳でした。
ただし、アパッチの酋長は他の部族との交渉に際しての代表であって支配権は有しておらず、ジェロニモさん本人は酋長だった祖父が他の部族の女性と結婚したため継承権を失っていました。またジェロニモと言う名前はメキシコ軍に付けられた仇名でスペイン語の「ヘルニモ(守護聖人・エウセビウス・ソポロニウス・ヒエロニムスの通称)」が英語に訛ったものでした。一方、アパッチでは日本の武士の諱(いみな)のように正式な名前は家族以外には秘する習慣があり、ジェロニモさんの正式な名前も不明です。
余談ながらスポーツ根性物語ではない野球漫画には四国の山奥を舞台にした「アパッチ野球軍」があり、ウルトラマンには怪獣酋長・ジェロニモンが登場しますが頭から背中と尾の先に生えた毒の羽を武器にしています。これが西部劇などで酋長にされたジェロニモさんのイメージだったのでしょう。
ジェロニモさんは1829年に現在のメキシコとの国境付近の山岳地帯に居住する部族に生まれ、長期間の不眠不休や山岳踏破、弓矢や槍の投擲などの戦闘員としての訓練で鍛えられながら成長するとメキシコに遠征して掠奪などの部族の生業に励みました。1848年に17歳で結婚しましたが、3人の子供を得ていた1858年にメキシコの州知事が「年に4回、軍の駐屯地で毛布、布地、トウモロコシの粉、蒸留酒を支給する」と言う和平を申し入れてきて酋長が応じたためジェロニモさんは家族総出で運搬作業に参加しました。ところがメキシコ人はアパッチの頭の皮に男性なら100ペソ、女性は50ペソ、子供は25ペソの賞金を掛けていてこの申し出も皆殺しにするための策略でした。そして歓待によって油断させて3日後に軍隊が野営地を包囲して実行に移したのです。
生き残ったジェロニモさんは死んでしまった妻子の遺品を野辺の送りにして弔うと復讐の鬼と化しました。各部族を率いてメキシコ人を襲撃すると銃弾雨飛の中、刃物を振りかざして戦い、その姿に畏怖の念を抱いたメキシコ兵が守護を願って「ヘルニモ」と叫んだことが名前の由来になったのです。
その後も山岳戦闘に長けたアパッチはメキシコ軍、アメリカ軍の征討を退け、西部の平原の騎馬戦で抵抗したスー族と共に白人社会に恐怖と憎悪を与えました。この時、都市部のマスコミは死者数を10倍、100倍にして報じて白人の敵意を扇動しています。
そんなジェロニモさんも1886年に南北戦争で武器と戦術が急速に発展したアメリカ軍の軍門に下ると陸軍の捕虜になり、民俗学者の研究材料にされる一方で20世紀になっていた1904年のセントルイス万国博覧会では「人間動物園」として見世物にされました。
晩年のジェロニモさんは生まれ故郷のメキシコ国境付近の山岳地帯に帰り、そこで死ぬことを願っていましたがアメリカ軍はあくまでも捕虜としてオクラホマ州の駐屯地内で死なせるとアメリカ軍式の装飾を施した墓を建てました。
  1. 2024/02/16(金) 15:13:19|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<続・振り向けばイエスタディ738 | ホーム | 続・振り向けばイエスタディ737>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/8948-e07d38ef
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)