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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

2月19日・フェアレディZの育ての親・片山豊の命日

2015年の2月19日はアメリカでの市場開拓の成功によって初代アメリカ日産社長に就任して数少ない日本車の本格的スポーツカーとして絶対的な人気を獲得・維持しているフェアレディZの代名詞になっている片山豊さんの命日です。105歳でした。
片山さんは明治42(1909)年に静岡県周智郡喜多村、現在の浜松市北区春野町で生まれました。それにしても遠州と言う土地は本田技研の本田宗一郎社長やスズキ自動車の鈴木道雄さん、トヨタの前身の豊田自動織機の創業者・豊田佐吉さんなど自動車の申し子が生まれる特殊な風土があるのかも知れません。
慶応大学理財科(現在の経済学部)を卒業すると創業者が親戚だった日産自動車に入社しますが本人は設計部門を希望していたものの宣伝に配属され、国内に続き満州国に赴任しましたが敗戦で帰国しています。ところが帰国後は日本式のセールスマンの戸別訪問による売り込みではなく多くの大衆を呼び集める海外式の宣伝としてモーターショーの開催を提唱して昭和29(1954)年に全日本自動車シヨウ=現在の東京モーターショーを実現しました。ちなみに現在も使用されている東京モーターショーの古代ギリシャの青年が車輪を脇で引いているシンボル―マークはこの時、片山さんが考案しました。
その一方で軽自動車の原形と言われる350cc、2人乗りのフライング・フェザーを日産自動車の車体などを製造していた住江工業に製作させたことで個人的な趣味を子会社に命令した=公私混同と叱責されて一時期は退職を考えたそうです。
その影響なのか昭和35(1960)年にアメリカの市場開拓を命じられて赴任しましたが、日産本社の上層部の最大の都市で経済の中心・流行の発信地であるニューヨークを拠点とする方針に離反して西海岸のロサンゼルスで営業を開始したのです。しかし、この判断は大正解で当時はアメリカでの日本車の評価は必ずしも高くはなくニューヨークではアメリカの4大メーカーや先行するヨーロッパ企業の販売網が完成していたので新規参入は困難であり、逆に西海岸にはアジア系移民が多く体格的に巨大なアメリカ車よりも小振りな日本車を好んでいたので開拓するには最高の市場でした。
こうして片山さんは日本式のセールスマンになって自動車販売業者を戸別訪問して売り込み、その業績に面子を潰された日産本社の上層部はニューヨークへの進出を強行しようとしましたが失敗に終わり、片山さんが初代アメリカ日産社長に就任しました。
社員だけでなく多くの信奉者から「ミスターK」と呼ばれた片山さんの経営方針は「ディーラーがハッピーになって初めてメーカーがハッピーになれる」と言うもので日本式お客さま本位のきめ細かいサービスとアメリカ車に対抗するのではなく個性を売り込む営業で成果を上げ、特にフェアレディZ(アメリカでの通称はZーCar=ズィー・カー)は絶大な人気を集めて「ズィー・カーの父」と賞賛されてエンジニア以外では初めてアメリカのデトロイトにある自動車の殿堂に顕彰されました。
帰国後は2005年5月22日に故郷の春野町内で「K‘s ミーティング・イン・ハルノ」を開催して歴代フェアレディZを700台、観衆5000人を集めました。
  1. 2024/02/19(月) 15:36:20|
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