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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

2月21日・奈良小1女児殺人事件・小林薫の死刑が執行された。

2004年11月17日に奈良市内で誘拐した小学1年生の女児を生駒郡三郷町内の自宅マンションで強姦未遂の上、殺害した小林薫死刑囚の吊首刑が2013年の明日2月21日に執行されました。事件当時は35歳でしたが44歳になっていました。
小林死刑囚は昭和43(1968)年に大阪市住吉区でプロパンガスなどの販売を営む家庭の3人兄弟の長男として生まれました。父親は躾に厳しく幼少期から体罰を加えることも珍しくありませんでしたが母親は優しく庇っていたようです。
そのためなのか幼稚園や小学校に入ると苛めの対象になって教室で1人過ごすようになり、小学校2、3年頃からは万引きを繰り返すようになりました。小学校4年の時に母親が下の弟を出産して亡くなって中学校に入ると原付バイクを盗んで乗り回すようになりました。その一方で家計を助けるために新聞配達のアルバイトを始めています。
ところが高校2年の頃、友人から「兄と幼い妹の性交渉」を描いたアダルトビデオを借りたことで女児を肉体関係・猥褻行為の対象とする変質的な指向に目覚めて小学生に抱きついて胸を揉み、スカートをまくり上げて性器に指を入れる猥褻行為を繰り返しました。
昭和62(1987)年に高校を卒業すると大阪市内の居酒屋チェーンと箕面市内の新聞配達店で働きましたが、1989年に箕面市内で当時5歳の女児の性器を弄んだことで強制猥褻罪と窃盗罪で逮捕されて懲役2年・執行猶予4年(保護観察付)の判決を受けました。その後はトラック運転手として働きながら成人女性と交際し始めましたが女児への執着を断つことができず、1991年に住吉区の公団住宅前で5歳の幼稚園児を抱きかかえて連れ去ろうとすると泣かれたためその場に押し倒して首を両手で絞めて殺人未遂犯として逮捕されました。そして強制猥褻致傷罪で懲役3年の実刑判決を受けた上に執行猶予も取り消されたため4年8ヶ月間の刑期になり、1995年の仮出所まで服役しました。
出所後は読売新聞・朝日新聞・産経新聞の販売店を転々としますが、飲酒による遅刻・無断欠勤、集金した新聞代の横領、顧客に無断の架空契約などの問題を起こして解雇されるようになりました。それでも成人女性とつき合って肉体関係を持つようになりましたが思うままに弄べる女児の魅力には勝てず強姦できる獲物を物色するようになりました。
そうして2004年11月17日水曜日の昼過ぎ頃、奈良市西部の富雄地区で好みのポッチャリ体形で単独行動の女児を見つけ、「車で送ってあげる」と声をかけて同乗させると自宅マンションに連れ込みました。自宅マンションで女児が算数の宿題を次々に解いていくのを見て「優等生だ。家に帰すと正確に証言される」と考えて殺害を決意し、その前に目的を遂げようと浴室に連れ込むと大声を出されたため浴槽に沈めて溺死させたのです。殺害後、屍姦と口腔性交を試みましたが死後硬直が始まっていて果たせず、夜になるのを待って遺骸を運び出すと生駒郡平群町内の道路の側溝内に遺棄したのです。
小林死刑囚は判決が確定した後のアンケートに「薬物注射による執行と3日目の告知を希望する」と回答したそうです。刑の執行を告知された時、小林死刑囚は「ふ、風呂とちゃうんか」と困惑したそうなので覚悟はできていなかったようです。
  1. 2024/02/20(火) 14:44:49|
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