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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

2月24日・超人的脱獄王・白鳥由栄の命日

昭和54(1979)年の明日2月24日は刑務所が「脱獄経験者を留置するから」と施設を補強し、監視を強化している中で4度も脱獄を繰り返した超人的脱獄王の白鳥由栄さんの命日です。71歳でした。
白鳥さんは明治40(1907)年に青森県で生まれました。幼い頃に父親が病死すると母親は乳飲み子だった弟を連れて再婚し、姉と白鳥さんは豆腐屋に嫁いでいた父親の妹の養子として引き取られました。成長すると素行が悪くなり、昭和8(1933)年に仲間と強盗殺人事件を起こして青森刑務所に投獄されました。
投獄された昭和初期の東北は冷害による大凶作と昭和8(1933)年3月3日の三陸地震による津波で甚大な被害を受け、さらに大陸では関東軍の暴走が止まらず食料と物資は社会全体で不足していて刑務所の囚人に回す余裕はありませんでした。それでも白鳥さんは劣悪な待遇に抗議して逆に懲罰房に入れられたため最初の脱獄を決意したのです。桶の金属製のタガを外すと手作業で合鍵を作り、錠を開けて脱獄に成功しました。それでも劣悪な環境と苛めた看守への抗議が目的だったので翌日に出頭しました。
すると強盗殺人に逃走の罪が加算されて無期懲役になり、宮城刑務所を経て東京の小菅刑務所に移監されました。小菅刑務所では普通の囚人と同等の待遇を受けたので大人しく服役していましたが、昭和16(1941)年10月に戦時罪因移送令(罪によって刑務所を区分する)が発令されて秋田刑務所に移監されると脱獄経験者として高さ3メートルに天窓があるだけの特別房に入れられました。小菅の気候に慣れていた身体には秋田の寒さは耐え切れず防寒衣を要求すると拒否されたため2度目の脱獄を決意したのです。先ず部屋の隅を使って壁を登る技を練習し、天窓から外した釘とブリキ片を使って鋸を作り、看守の交代時間の10分間で鉄格子の周囲を切り始めました。そして暴風の夜、鉄格子を外して脱獄に成功したのです。3ヵ月後、小菅刑務所に出頭しました。
こうなると無期懲役は延長できないので環境に懲罰を加えたようで網走刑務所に移監されると凶悪犯専用の特別房に入れられました。ここでは冬に夏用、夏に防寒用の衣類を着せられる迫害を受け、手錠の鎖を力まかせに引き千切ってしまうため後ろ手に掛け放しされて擦り傷から蛆がわくようになったため3度目の脱獄を決意したのです。今回は味噌汁を視察窓の釘に吹きかける作業を1年間続けて錆びさせるとこれを取り去って肩の関節を外してすり抜けて脱走したのです。この時の褌一丁で天井の鉄線を渡っている人形=像は博物館網走監獄に展示してあります。
今回は敗戦まで潜伏しましたが畑泥棒と間違えて袋叩きにした農家を逆に殺して逮捕されると死刑判決が出たため4度目の脱獄を決意したのです。当然、札幌刑務所は厳戒態勢を敷いていましたが、白鳥さんは手製の鋸で床板を切り、床下にもぐって食器で穴を掘ってここから脱走しました。
そして敗戦後の裁判では刑務所での劣悪な処遇も脱獄の動機として認められ、懲役20年に減刑されて府中刑務所に服役し、昭和36(1961)年に仮出所してからは建設作業員として働きながら普通に生活していました。
  1. 2024/02/23(金) 14:27:26|
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