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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

2月28日・アステカ王・クアウテモックが処刑された。

1525年の明日2月28日に1428年頃から現在のメキシコ中央部で栄えたアステカの第11代・クアウテモック王が処刑されました。
日本人の多くはスペインによる征服の悲劇がドラマチックに伝わっているためアステカを南アメリカ大陸の太平洋側の山岳地帯を支配したインカや高度な文明を築いたマヤに匹敵する帝国だと思っていますが、実際は南北アメリカ大陸をつなぐように細長く伸びているメキシコ中央部の盆地一帯を領していた都市国家に過ぎませんでした。
アステカの成立は12世紀頃に北部にあったとされる伝説上の首都・アストラン(ドイツ人の博物学者で探検家のアレクサンダー・フォン・フンボルトさんが国名の由来にした)からメキシコ一帯を移住して回っていた部族が先住の部族が建設していた都市国家を参考にして現在は埋め立てられているテスココ湖の周囲に自分たちの都市・テノチティトランを建設して定住したことです。さらに湖の島に姉妹都市・トラテロルコを建設しました。
そうしてアステカではアカマピチトリさんが1375年に朝貢して庇護を受けていたメキシコ盆地最大の都市国家・アスカポツァルコの王の許可を受けた王に即位して長老会議の承認の下で王位を世襲することになりました。その後、アスカポツァルコを後ろ盾にして他の都市国家を支配下に置くとやがて軍事力において遜色がない強国になり、メキシコ盆地の覇権を巡るアスカポツァルコとテスココの全面対決に大きく貢献して、ついにはメキシコ中央部一帯の統一国家を樹立したのです。
ところが大航海時代に入ったヨーロッパはスペインやポルトガルを先陣として南北アメリカ大陸の征服を進め、1519年にスペイン人のエルナン・コステル(敬称・肩書不要)がメキシコに上陸したのです。ここで有名なアステカの神話「主神・テスカトリポカに追放された白い肌を持つケツァルコアトル神が一の葦の年(=偶然にも1519年)に戻ってきて再びアステカを支配する」と白い肌のスペイン人が結びついてしまう悲劇が起こりました(前兆として10年前の彗星の出現や神殿の焼失などが重なった)。
その結果、モクテスマ2世王はコステルをケツァコアトル神と信じて武装蜂起によって抵抗する住民たちを制止しようとして殺害され、後継のクイトラワク王はスペイン人が持ち込んだ天然痘で即位から80日後に病没したためトラテロルコの領主だったクワウテモック王が25歳で指名されたのです。この時、絶世の美女との誉れが高かったクイトラワク王の妃になっていたモクテスマ2世王の娘と結婚しています。
クワウテモック王は1521年にコステルの軍にテノチティトランを包囲されても頑強に抵抗しましたが、すでに火縄銃の原形を使用していたスペイン人に勝てるはずがなく脱出を図り捕獲されてしまいました。捕獲後は黄金の保管場所と金鉱山の所在地を探るために拷問にかけられ、他の地域への出征には反乱防止の人質として連行されましたが、在位が短い傍流の王では抑止効果は弱く、マヤへの侵攻中に処刑されました。
スペイン人は20世紀に入ってからもメキシコでネイティブ・アメリカンを残酷に大量虐殺していますからアステカが受けた悲劇は想像に難くありません。
  1. 2024/02/27(火) 15:58:16|
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