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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

3月2日・帝国議会で北海道旧土人保護法が成立した。

明治32(1899)年の3月2日に帝国議会で「アイヌ人の保護」を目的とした最初の北海道旧土人法が成立しました。
最近のNHKが主導するマスコミはアイヌを先住・土着の異民族として沖縄が日本に復帰した時に亡国作家の大江健三郎(敬称不要)や後に県知事になる大田昌秀(敬称不要)琉球大学教授が主張した島津藩による侵攻以降の奴隷化や明治政府の廃藩置県によって統治下に組み込まれた結果、第2次世界大戦では本土決戦の準備のための時間稼ぎとして沖縄本島での戦闘を誘引したと言う「犠牲者論」を模倣してアイヌも松前藩の武力による迫害と過酷な搾取を受けてきて、その仕上げとして「民族の独自性を完全に根絶することを目的に土人と差別するこの法律が制定・強制されてきた」と解説・強弁しています。
確かに北海道では松前藩が戦国時代から現在の道南を支配していたものの当時の米の品種では稲作は不可能だったため地産品を販売して1万石以上の米を買い付けて大名としての格式を維持していたので鮭や蟹などの水産物、毛皮などを買いつける商人たちがアイヌの生活圏に侵入し、金銭による取り引きを知らないアイヌたちを騙して暴利を貪り(物々交換の返品を減らした)、これに反発すれば松前藩士に弾圧させていました。この実態を幕府老中・田沼意次さまが派遣した北方探検隊が報告すると幕命を以て迫害と搾取を禁じ、取り締まりの幕臣を派遣しましたが松前藩は目を盗むように迫害と搾取を続けて明治に至ったのです(北海道全土が支配地域になった)。
ところが明治政府は毎度の如く「アイヌの保護には近代化を進める日本社会に組み込むしかない」と短絡的に考えて制定したのがこの「北海道旧土人保護法」でした。法律の趣旨としてはアイヌに土地や船と道具を与えて農業や漁業を生業(なりわい)とさせることで定住を進めて国民としての戸籍を作成することを基本としていますが、アイヌは元来が獲物を追って移住する狩猟と木の実の採取で暮らしを維持していたので大地を耕して自分で種を蒔いて作物を育てることは食料を与えて生活を守ってくれている神格化していた大自然に対する背信行為に他ならず到底受け入れることはできませんでした。
そのため明治政府の思惑通りに農業や漁業の指導を受けて耕作や漁労を身につけて定住生活を営むようになったアイヌたちが増える一方で民族としての誇りを守り、狩猟と採取による生活の存続を主張するアイヌたちに分れて対立するようになり、その被害者意識を反日武装闘争にしたのが1974年から翌年まで連続した企業爆破事件の犯行グループ「東アジア反日武装戦線・狼(先日、癌で死んだとされる桐島聡くんもメンバー)」で「古来、アイヌ人の土地であった日本を奪い、搾取と迫害を続けてきた和人に対する復讐」を犯行目的としていました。ただし、マスコミは三菱重工や大手ゼネコンを狙ったことでマルクス主義過激派と同一視させています。
結局、農業や漁業などの生業を営むようになった大半のアイヌたちは保護を失うことになるこの法律の廃止に反対しましたが、民族の誇りと伝統の護持を追求するアイヌが整合を進めて1997年にアイヌ文化振興法と引き換えにこの法律は廃止されたのです。
  1. 2024/03/02(土) 15:04:36|
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