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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

3月1日・漫画家・鳥山明先生の逝去を悼む。

3月1日に「Drスランプ」や「ドラゴンボール」で日本の漫画の支持者を世界中で開拓した漫画家の鳥山明先生が亡くなったそうです。68歳でした。
実は野僧の高校には明先生の従兄の鳥山先生が2人いました(2人とも科目は数学、名前は漢字1文字)。野僧が2年だった昭和53年に少年ジャンプに「ワンダー・アイランド」が掲載されて以降、散発的に作品が掲載されて名前を知られると生徒が冗談で「先生の弟でしょう」と訊くと「従弟だ」と答えたのです。その噂が広まると「鳥山明ってどんな人ですか」と訊く者が続出して鳥山先生の方も授業の余った時間に明先生の子供の頃の思い出話をするようになって非常に親近感を覚えるようになりました。
鳥山先生の話しでは明先生の父は若い頃、レーサーを目指していたものの挫折して自動車の整備工場を始めたのですが経営が苦しく貧乏な生活をしていたそうです。そのため菓子などもあまり買ってもらえず親戚の家に遊びに来ると妹と2人で出された菓子を貪るように食べてしまい従兄が食べるのをジッと見るので分けると、そのお礼として絵を描いてくれるのですが漫画の書写は「作者に描いてもらった」と言って友達に見せると信じたそうです。
一方、従兄の目から見た明先生は「兎に角、面倒臭がり屋で計画性が全くない」「勉強が好きじゃあないから成績はパッとしない」と散々な一方で「欲しい物があると手に入るまでそれの絵ばかりを何枚も描いていたが(空腹なら好きな食べ物)、それが抜群に上手かった」と抜きん出た画才は認めていました。女子生徒の間でも「ファッションや風景、小物がイラスト的で素敵」と言う評価が高かったのでこの逸話には納得しました。
そして野僧が高校3年の3学期に週刊ジャンプに「Drスランプ」の連載が始まると学校内でも大評判になり、本来は持ち込み禁止の漫画雑誌が公然と回し読みされ、メガネをかけた女子は揃って「アラレちゃん」と呼ばれるようになりました。野僧は山咲みどり先生のファンで千兵衛さんのトイレのドア越しのプロポーズの物語には感激しました。
明先生の生い立ちについては昭和30(1955)年に名古屋市で生まれましたが父が清洲町で自動車工場を始めたので転居し、そのまま住み続けました。そのため作品は名古屋空港から飛行機で送っていたそうです(名古屋駅から新幹線の方が早そうですが)。
高校は地元の起(おこし)工業高校のデザイン科に進学し、在学中はマンガ研究同好会の会長になっていますが漫画を読むだけで自分の作品は描かなかったようです。卒業後は「絵が描きたい」と名古屋市内のデザイン会社に就職しましたが文字のレタリングが主な仕事だったため2年半で退職してアルバイトでイラストを描くようになりました。そんなある日、喫茶店で読んだ少年マガジンが賞金50万円の新人賞の作品を募集していることを知り、23歳で初めて本格的に漫画を描きましたが計画性がない面倒臭がり屋なので締め切りに間に合わず、翌年の少年ジャンプの新人賞に応募したのです。そこで編集者に鍛えられて「Drスランプ」や「ドラゴンボール」が生まれました。
野僧は現役時代、頭を剃って鼻の下と顎に髭を生やしていたため「亀仙人・無天老師」と言う仇名でした。無断借用をお詫びしつつ冥福を祈ります。
山咲みどり「Drスランプ」千兵衛博士をはねた山咲みどり先生
  1. 2024/03/10(日) 15:21:32|
  2. 追悼・告別・永訣文
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