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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

3月15日・カソリックの自己改革を討議したトリエント公会議が始まった。

宗教改革の火の手が上げたマルティン・ルターさんが亡くなる前年の1545年の3月15日にカソリックの高位の聖職者=公を参集して自己改革を討議したトリエント公会議が始まりました。ちなみにトリエントは第1回の公会議が開催されたローマ帝国領の自由都市の地名でトレントとも呼びます(歌の題名になっているのはソレント)。
カソリックの司祭だったルターさん自身は新たな教団を立ち上げるつもりはなく社会の発展による人々の自己確立を顧みることなく旧態依然の教義の堅持を強要している体質や政治権力に結びつき統治者の権威づけに利用されている腐敗を教皇以下のカソリック教団全体が猛省して抜本的な改革に取り組むことを期待していたのでこの公会議の開催こそ本意だったのかも知れません。
しかし、この会議の開催までにはヴァチカン内の公会議による合議制に移行するべきだとする改革派とあくまでも教皇を主体とする守旧派の対立があり、再三再四のルターさんの呼びかけにも関わらず実現には至りませんでした。ところが宗教改革の火はスイスで過激な改革主義=カルヴァン派(敗戦後の日本キリスト教会も加盟している)を炎上させ、さらに北欧、スコットランドなどの遠隔地に飛び火していく事態の緊迫性を理解した教皇・パウルス3世が神聖ローマ帝国のカール5世の協力を得て開催を決定したのです。
会議の趣旨としてはプロテスタントとの決裂を回避することを第1義として「カソリックとして無理がない妥協点を選定する」と言う本気度を疑ってしまう前提でしたが、実際は「カソリックの教義の再確認とプロテスタントの主張の排除」と「教会としての自己改革」を議題としました。しかし、ルターさんを始めとするプロテスタントの指導者からはカソリックに対する批判が十分過ぎるほど列挙されていたのでこの議題では宗教改革の火の手を消すどころかかえって油を注ぐのは明らかでした。
こうして始まった第1回会期では教義について徹底的な議論が行われましたが、ルターさんが否定した最初期のキリスト教団が用いたギリシャ語とヘブライ語の旧約聖書の内、ギリシャ語版にあってヘブライ語版にはない第2正典を正当な聖典としてプロテスタント側の教義の誤りを造り出しました。このような自己保身と自己満足の会議は神聖ローマ帝国内でカソリックを擁護するカール5世とプロテスタントに宗旨替えした諸侯の対立を生み、1546年10月から1347年5月までのシュマルカルデン戦争が勃発して議場を一時的にボローニャに移動させることになり、伝染病の流行によって中断しました。
それでも1551年から教皇・ユリウス3世によって第2会期が始められましたがプロテスタント側の武将がカール5世を敗ったため中止されました。そして1562年から教皇・ピウス4世によって第3会期が再開されてカソリックとしての自己改革を議題にしましたが所詮は過去にしか存在意義を持たない教団なのでルターさんが最初に問題にした贖罪符も販売は禁止したものの意義については否定しないなど成果と言えるような結論は出さずに1568年12月4日の第25回総会で4人の教皇使節、2人の枢機卿、3人の総大司教、25人の大司教、168人の司教が議事録に署名して閉会しました。
  1. 2024/03/15(金) 16:21:18|
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