fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

3月24日・被災者は「土葬水葬火葬」された善光寺地震が発生した。

1年前に孝明天皇が即位しながらまだ改元していなかった弘化4(1847)年の3月24日に信濃国=長野県の善光寺平を震源地とする推定マグニチュード7.5の直下型地震が発生して「死にたくば 信濃にござれ 善光寺 土葬水葬 火葬までする」と狂歌に詠まれた甚大な被害が現出しました。
この地震は断層面を境として上下に動く縦ずれ断層でも上になる側が押し上げられる逆断層(下になる側が沈むのは正断層)によって発生して震源域は現在の長野市の北東に位置する飯山市から長野市南西部の大岡までの50から60キロに及んでいます。
地震の被害については松代藩主・真田幸貫さま自身が馬で領内を回って幕府に「山抜崩れ大小41051カ所」と届け出ましたが、現在の調査では当時の松代領内で42000カ所(馬で立ち入れなかった山間部などが含まれる)、隣接する松本領内でも19000カ所で山崩れの痕跡が確認されています。これが土葬です。
さらに谷川側面の山肌が崩落した岩石や倒木でできた松代領内の51カ所、松本領内で41カ所の塞き止め堤の湖によって多くの村や集落が水没しただけでなく貯水量を超えると決壊して下流域の水位としては犀川が善光寺平に出る長野市西部で20メートルに達したと言われています。さらに国境(くにざかい)を越えて越後国=新潟県の信濃川や千曲川にも水害をもたらしました。これが水葬です。
そして最大級に運が悪いことにこの時期は善光寺の本尊さま=一光三尊阿弥陀如来のご開帳中(本当の本尊さまは絶対秘佛なので模造品の前立佛像を代用公開している)で多くの参拜者が全国から集まっていて門前の旅籠は満員状態でした。さらに超最大級に運が悪いことに地震の発生時刻が宵5つ=戌の刻=午後8時だったので夕食の後の酒の燗つけや風呂を沸かすのに盛んに火を焚いていて大地震で倒壊した木造建築が火災を起こして門前町全体に燃え広がるのは当然でした。火災は3日間続いて倒壊焼失した家屋は2094軒、逆に倒壊を免れた家屋は142軒のみ、死者数は2486名でした。やはり阿弥陀如来は西方浄土に往生させることを発願されているので参拜者は団体で案内して下さったようです。これが火葬です。それでも善光寺は境内が広いこともあり如来堂と鐘楼、山門が半壊して軒(のき)に吊ってある歓鐘が落下しただけで類焼は免れました。一方、被災地全体では全壊家屋は21000軒、死者数は8600名でした。
ところがこの地震はこれだけでは終わらず5日後には野尻湖を経由して関川沿いに国境に近い高田まで伸びる断層でマグニチュード6.5の誘発地震が発生しました。この地震によって多くの塞き止め堤が決壊しましたが、生き残っていた人数が少なかったこともあり死者数は20名程度でした。
さらに嘉永7=安政元(1854)年6月15日に伊賀上野地震、11月4日午前に安政(正確には嘉永7年)東海地震と32時間後の11月5日午後に安政南海地震が続発した翌年の10月2日にはとどめの安政江戸地震が発生しています。嘉永6(1853)年の黒船の来航と共に国内外が揺れ続けた時代だったようです。
  1. 2024/03/24(日) 15:12:29|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<続・振り向けばイエスタディ775 | ホーム | 続・振り向けばイエスタディ774>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/9023-c2fe129a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)